【第12回】 「三重苦」を乗り越えた ヘレン・ケラー 2015-3-17

卒業するみなさん、おめでとう!
6年間、よくがんばったね。
みちがえるように、りっぱに成長したみなさんに、私は、ご家族とともに大拍手を送ります。
みなさんを、おうえんしてくださった学校の先生方にも、感謝を忘れないでいこうね。
私も、お世話になった小学校の先生方のことを、今でもなつかしく思い出します。先生方のおかげで、私は学ぶ喜びを知りました。世界の広さや夢を持つことの大切さ、誠実と努力の尊さを教わりました。
きょうは、有名なヘレン・ケラーと、そのヘレンをはげまし、育てたアン・サリバンという偉大な先生との出会いの物語を通して、学んでいきましょう。
 
みなさん、両手で自分の左右の目をかくしてみてください。何も見えないでしょう。
では、今度は両手で左右の耳をふさいでみてください。何も聞こえなくなりましたね。
最後に、言葉をしゃべらずに、お父さん、お母さんにお願いごとをしてみてください。通じましたか? むずかしいですね。
ヘレン・ケラーは、この「見る」「聞く」「話す」の三つのことができない「三重苦」を背おいながら、明るく朗らかに生きた女性です。
ヘレンは、1880年6月、アメリカで生まれました。ところが、1歳7カ月になった冬、急に高熱を出し、それが何日も続きました。お父さんとお母さんは、一生けんめい看病し、なおってほしいと願いました。その思いが通じたのか、やがて熱は下がりました。
しかし、両親が話しかけても返事をしません。ヘレンは病気のせいで、目で見ることも、耳で聞くこともできなくなった。そして、しゃべることも忘れてしまったのです。
やがて首をふったりすることで、自分の気持ちは伝えられるようになりました。しかし、うまく伝わらないことや、気に入らないことがあると泣きさけび、八つ当たりせずにはいられませんでした。
そんなヘレンをなんとか助けてあげたいと手をつくしていたお父さん、お母さんのもとに、一人の乙女がしょうかいされました。学校を最優秀の成績で卒業したばかりの、アン・サリバンです。
サリバンは、8歳でお母さんを亡くし、お酒を飲むばかりで働かないお父さんと小さな弟の貧しい家庭に育ちました。彼女自身も、目の病気で苦しんでいました。
つらいことに負けないで生きる人は、ほかの人が苦しんだり、悲しんだりする気持ちが、よく分かります。やさしくなれるのです。
サリバン先生は、へレンが7歳になるころから、家庭教師となりました。ヘレンの可能性を信じ、根気づよく教えてくれる先生を、ヘレンは信頼していきました。
ヘレンは、指の形でアルファベットを一文字ずつ表す「指文字」を覚えました。それをサリバン先生はヘレンの手のひらに書いて、言葉を教えました。
でも何度教わっても、ヘレンには「どんなものにも、それぞれに名前がある」ということが理解できなかったのです。
ヘレンは、「コップ」と、その中の「水」の区別がつきません。ある時、先生は、庭の井戸で水をくみ上げ、ヘレンの手にコップを持たせて、水の出口の下に引きよせました。コップから冷たい水があふれて、ヘレンの手の上をいきおいよく流れていきます。
先生は、ヘレンのもう一方の手に、何度も指文字で「WATER(ウォーター=水)」と書きました。
ヘレンは、ハッと気付きました。今、手の上を流れているものには、「水」という名前があるのだと、ついに分かったのです。
そして、父、母、妹、先生などの言葉の意味を知り、どんどん学んでいきました。「心の目」が開いたのです。「心の耳」が聞こえたのです。学びの光が、心の中にさしこんだのです。
ヘレンは、先生の手と自分の手を重ねて、指文字でお話ができるようになりました。点字という、ブツブツともりあがった、たくさんの点でできた文字を読み取ることで、本も読めるようになりました。さらに努力を続けて、口でお話もできるようになり、文章まで書けるようになりました。
喜びに満ちたヘレンの学びの前進は、止まりません。
そのそばには、いつもサリバン先生がいたのです。
 
ヘレンには、大きな夢がありました。大学に入ることです。目指したのは、私も2度、お招きを受けて講演をしたアメリカ最高峰のハーバード大学です。
友だちはみんな、むりだからやめた方がいいと言いましたが、サリバン先生とヘレンの「師弟」は、心一つに大学を目指しました。
最愛のお父さんが亡くなるという、悲しいできごともありました。けれども多くの人の支えもあって、みごと、ハーバード大学の女子学生が学ぶラドクリフ大学に合格できたのです。
さらに、勉学に取り組んで、すばらしい成績で卒業することができました。
その後、ヘレンは、目や耳が不自由で苦しんでいる人が、幸福に生きられるように働きました。世界の国々を訪問して平和を訴え、人々をはげまして回りました。
日本にも、3回訪れています。初めて来た80年ほど前の4月は、桜が満開のころでした。ヘレンは、 困っている人を助けようとする時、あなたの笑顔は光りかがやきます と語りました。
ヘレンが書いた手紙の一つは、創価学会がおこなっている「21世紀 希望の人権展」や「世界の書籍展」でも展示されて、感動をよんでいます。
手紙には、こう書かれています。
「光も音もない世界でも、太陽や花や音楽を楽しむことができるなら、それこそ心のふしぎさを証明するものです」――その心に秘められた力を引き出してくれたのが、師匠・サリバン先生だったのです。
 
ヘレンとサリバン先生の「師弟」を、世界中が称賛しました。
イギリスの名門グラスゴー大学は、1932年の6月15日にヘレンに「名誉博士号」を贈り、二人のことをほめたたえています。
じつは、その62年後(1994年)の同じ日に、私はグラスゴー大学から「名誉博士号」をお受けし、そこで「恩師・戸田城聖先生との出会い」をたたえていただいたのです。
ヘレンは、サリバン先生の代わりの人は「考えることはできません」と、最大の感謝をこめて、ふりかえっています。
私も、戸田先生以外の「人生の師匠」を考えることができません。先生と出会えたことで、今の私があります。先生のおかげで、最高の人生を歩めました。世界の平和を目指し、世界中の人と出会い、友情を結ぶことができました。
そして今、少年少女部のみなさんとこうして出会うことができました。
戸田先生との出会いが私の最高の宝ものであるように、みなさんこそ、私にとって、そして人類の未来にとって、最高の宝ものなのです。
卒業するみんな、おめでとう!
進級するみんなに、勝利あれ!
 
ヘレン・ケラーの言葉は、岩橋英行著 『青い鳥のうた ヘレン・ケラーと日本』 (日本放送出版教会)、ヘレン・ケラー著 『わたしの生涯』 岩橋武夫訳(角川書店)から。参考文献は、砂田弘著 『おもしろくてやくにたつ子どもの伝記7 ヘレン・ケラー』 (ポプラ社)、村岡花子著 『伝記ヘレン・ケラー 村岡花子が伝えるその姿』 (偕成社)、アン・サリバン著 『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』 槇恭子訳(明治図書出版)ほか