小説「新・人間革命」 革心41 2015年 6月17日

天津では、男女学生が中心となって、帝国主義国家への抗議の声が大きく広がっていった。十万人の国民大会やデモ行進も行われた。
軍隊、警察の弾圧は激しくなった。同志が不当逮捕されるという事件も起こった。その抗議に行った周恩来も逮捕された。
学生たちは、警察の責任者の厳重処分を要求するとともに、授業をボイコットして抵抗した。
周恩来たちは、獄中にあっても、ハンストを行うなど、闘争を続けた。
鄧穎超は、二十数人の学生と共に、布団を持って警察に行き、座り込んだ。勾留されている同志を即時釈放し、私たちを代わりに捕らえよ──というのだ。
警察は、その要求を聞き入れることはなかったが、世論は、勇敢な彼女たちの抗議を支持した。やがて、周恩来らは釈放される。
自分が身代わりとなって釈放を求めた鄧穎超らの行動は、同志の信頼を確固不動のものにしていく。
エゴに走れば、相互不信を煽るが、同志のためにという勇敢な戦いは、団結の絆を、太く、強くする。
一九二〇年(大正九年)夏、鄧穎超は女子師範学校を卒業し、北京の小学校に教師として赴任した。まだ十六歳の教師の誕生である。
また、周恩来は、「覚悟社」の二人のメンバーと共にフランスに留学することになる。
留学といっても、「勤工倹学」(働きながら、節約を重ねて学ぶこと)であり、広く近代的な知識を身につけて、新社会建設に生かすためであった。
働きながら学ぶとはいえ、渡航費用などがまず必要である。
周恩来は、南開学校の創立者らの支援を得て、留学が実現したのだ。ほかの二人は、経済的な心配はなかった。
鄧穎超にも、「留学し、世界を自らの目で見て勉強したい」という強い希望はあったが、もとより、そんな余裕はなかった。
周恩来は、鄧穎超に、必ず手紙を書くことを約束する。別離にあたって彼女は、彼にセーターを編んで贈っている。
裏に、「あなたに温もりを」と小さく刺繍して。