【第21回】 負けじ魂 朗らかに 2015-4-18

 
愛弟子と
共に歌わむ
うれしさよ
負けじ魂
炎と燃えて
それは、命に轟きわたる歌声であった。
皆の瞳に、勇気凜々(りんりん)と誓いが輝き光っていた。
わが学園生は断じて負けない。未来は盤石だ――心からそう感じた。
この3月16日、さらに今月8日、東京・関西の創価学園の卒業式と入学式が行われた。式典では、学園生が愛唱歌「負けじ魂ここにあり」を、決意に燃えて歌い上げてくれたのだ。
その門出を見守り、私も共に歌い、祝福した。
負けじ魂――ここに、創価教育の精神もある。
 
試練の嵐が吹き荒れる中、正義の旗を掲げ、友を励まし守って、突き進んでいた、昭和53年(1978年)の7月のことであった。
創価大学創価学園の寮祭だった「滝山祭」と「栄光祭」が合同で開催されたのである。
創大中央体育館で行われた記念フェスティバルが最高潮に達した時、舞台正面に、大書された寮祭のテーマが現れた。
「負けじ魂ここにあり」――感動が走った。
そうだ、若き日から、私が人生を戦い抜いてきた原点も、この心だ!
わが青春の魂を、後継の若人が、私に代わって宣言してくれたのだ。
この感動には続きがあった。3カ月後の10月、大阪を訪れていた私のもとに、学園生が作った愛唱歌「負けじ魂ここにあり」の歌詞が届けられたのである。
嬉しかった。 “負けじ魂” といえば、関西魂でもある。大変であればあるほど「負けたらあかん」と底力を発揮し、不可能を可能にしてきた常勝の母たちの心意気だ。
その関西の地で、烈風に凜々(りり)しく挑む若き闘魂に接したのだ。
いい歌だ。私は学園生の了解を得て、少し加筆させてもらった。これに曲が付き、さらに私が4番の歌詞を贈った。
 
母よ 我が師よ
忘れまじ
苦難とロマンを
この我は
いつか登らん
王者の山を
負けじ魂 いつまでも
 
私が、学園生の「負けじ魂ここにあり」の大合唱を聴いたのは、翌11月のことであった。
あの凜乎(りんこ)とした熱唱も、真剣な英姿も、わが胸奥(きょうおう)から離れない。
この折、私は語った。
“「いつか登らん 王者の山を」と歌にあるごとく、その山を諸君たちに登ってもらうために、私は道なき道を、傷だらけになりながら奮闘していく決心であります”
2009年、私は歌い継がれてきた「負けじ魂ここにあり」に、新たに5番の歌詞を贈り、3月の卒業式で皆と一緒に歌った。
 
正義の誇りに
胸を張れ
君に託さん
この大城(しろ)を
学べ勝ち抜け
世界まで
負けじ魂 朗らかに
これもまた、忘れ得ぬ黄金の思い出だ。
学園同窓生たちも、創価教育を応援してくれる父母(ちちはは)たちも、この歌を口ずさみ、私と共に道なき道を開拓してきた。
今や創価の大道は未来へ、世界へと開かれた。従藍而青(じゅうらんにしょう)の英才たちが、王者の道を胸を張り闊歩(かっぽ)する時代に入っている。
人生は長い。勝つ時もあれば、負ける時もある。行き詰まり、七転八倒する時もあるだろう。だが、人生の勝敗は途中で決まらない。栄光は、粘り抜いた逆転劇によって勝ち取るものだ。
だからこそ心は負けてはならない。あきらめてはならない。どんなに悔しくとも、朗らかに頭(こうべ)を上げて前を向くことだ。
困難にぶつかり、宿命が襲いかかってきたならば、「よし来たか」「今ここからだ」と、いよいよ負けじ魂を燃やす。その人が、最後に必ず勝つ。
苦労して強くなり、何ものにも揺るがぬ自分を築くのだ。悩みは、皆を勇気づけていく人間王者になる修行なのだ。
学園、創大出身の同窓生は、「逆境に強い」との評価を、私が交友を結んできた各界トップの方々からも伺っている。
 
この春、新たに社会人として船出をした青年も多い。職場の異動など、これまでと違う立場や仕事に就いた友もいる。
あらためて、新出発を祝福するとともに、心からエールを送りたい。
私は21歳の時、師・戸田城聖先生が経営する出版社で働き始めた。
与えられた少年雑誌の編集の仕事を、「親友」とも思って大事にし、力の限り向上発展させようと決めていた。
眼前の課題をやり切ろう、誇りをもって責任を果たそう、新しい開拓をしようと、朝から晩まで動き抜いた。
その悪戦苦闘の日々こそ、最も神々しい黄金の青春譜になったと、私は言い切ることができる。
あの大実業家・松下幸之助翁(おう)が “成功の因” として挙げられていた三点がある。
「学歴がなかった」
「貧しかった」
「病弱だった」
それゆえにこそ、誰からでも謙虚に学べ、お金や健康の有り難さが分かる人にもなれた――そういうお考えであった。
まさに、逆境をすべて成長の糧(かて)とされたのだ。
ともあれ、実際に仕事に就いてみると、こんなはずではなかったと思うことも多いだろう。
戸田先生は、そのような時、「へこたれてはいけない」と励まされた。
「自分の今の職場で全力を挙げて頑張ることだ。 『なくてはならない人』 になることだ」
「御本尊に祈りながら努力していくうちに、必ず最後には、自分にとって 『好きであり、得であり、しかも社会に大きな善をもたらす』 仕事に到着するだろう」と。
そして、どんな労苦も、無駄にならない。貴重な財産として、一切、生かし切っていくことができる。それが、仏法の力であると、教えてくださったのだ。
御聖訓には、「金(こがね)は・やけば真金となる」(御書1083㌻、「兄弟抄」)と仰せである。
妙法受持の生命は「金」である。どこにあっても、題目を唱えて、一つ一つ変毒為薬し、「真金」の光を放っていける。
その誠実一路の行動を見てくれている人は必ずいる。正義の青年を応援する諸天の働きは、厳として現れるものだ。
 
若き日、仕事に、学会活動に奔走(ほんそう)する中、御書で “負けじ魂” という言葉を拝した新鮮な感動を私は思い起こす。
日蓮大聖人が「きわめて・まけじ(不負)たまし(魂)の人」(同986㌻、「可延定業書」)と讃えられたその門下は、四条金吾である。
御文では、金吾のことを「我がかたの事をば大事と申す人なり」(同㌻、「可延定業書」)と付記されている。味方、同志を大切にし、守り抜くために、負けじ魂で戦ってくれる勇者なり、と。
金吾は、門下の旗頭(はたがしら)として、決して負けるわけにはいかなかった。
「強盛の大信力をいだして法華宗四条金吾四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至(ないし)日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ」(同1118㌻、「四条金吾殿御返事」)
この仰せ通りに、勝ち抜いてみせたのである。
学会精神も同じだ。
わが創価の負けじ魂の友は、どんなに苦しい局面にあっても、「信心即生活」「仏法即社会」の法理に則り、一歩も退(ひ)かず前進してきた。
「仏法は勝負」である。
この信念で、断固として勝利の実証を示し切ってきた。これからも悪口罵詈(あっくめり)など弾き飛ばして、揺るぎない信頼を勝ち開いていくのだ。
これが「立正安国」の王道である。「広宣流布」の大道である。
 
今、社会では人間力が求められている。仕事上の能力だけでなく、直面した難局に、いかに挑み、いかに価値を創造するかが、問われる。
だからこそ、辛抱強いことが大切なのだ。歯を食いしばって、一歩また一歩、前へ踏み出すしかない。不屈の負けじ魂で勝ち進むのだ。
若さには希望があり、未来がある。無限の力がある。失敗を恐れず、体当たりしていく中で、その可能性を開き、自分の壁を破って飛躍することができる。
我らには、最極の信念たる信仰がある。
強盛な祈りで、立ち上がれ! 題目は師子吼(ししく)だ。滾々(こんこん)と勇気が湧き、満々と生命力が漲(みなぎ)る。
さあ、いよいよ、これからだ! 人間の中へ、民衆の中へ、勇んで飛び込み、大誠実の力で、我らは勝利していくのだ。
新しい一日、新しい挑戦、新しい出会いの舞台へ躍り出よう。
負けじ魂、朗らかに!
負けるなと
今日も祈らむ
わが友の
不屈の力と
晴れの勝利を