【第20回】 桜花に誓う  2015-4-2




「春の到来は 『混沌(カオス)』 からの 『宇宙』 の創造であり、 『黄金時代』 の到来であるかのように感じられる」と、アメリカの思想家ソローは語った。
我らも春の到来とともに、生まれ変わった息吹で新たな価値を創造し、人材の花が咲き誇る黄金時代を実現しゆくのだ。
桜前線も、南から北へ――九州、中国、四国、関西、中部、東海道、そして関東へと進んできた。
桜の木の「花芽」ができるのは、いつか。それは前の年の夏。早々に花芽をつくり、開花の準備を始める。そして厳しい冬を越え、春を迎えると同時に、命いっぱいに咲き開くのである。
信濃町の総本部にある「青年桜」も「華陽桜」も爛漫(らんまん)と咲いた。
私には、今春の桜は、ひときわ目覚ましく成長しゆく、創価の丈夫(ますらお)、華陽の乙女の英姿と二重写しに見えてならない。
昨年の夏を中心に行われた創価青年大会を契機に、あの地この地で立ち上がった、新しき熱と力に満ちた若人たちだ。
先日は、沖縄で不戦のスクラム固く、世界青年平和大会が開催された。
胸中に植わった「誓いの芽」を育み、試練の冬に挑み、「使命の花」「平和の花」「幸福の花」「勝利の花」を咲かせゆく、地涌の青春の乱舞が、私は何にも増して嬉しい。
4月2日は、わが恩師・戸田城聖先生が、今世の広宣流布の願業を成就され、霊山(りょうぜん)へ旅立たれた祥月(しょうつき)命日である。
師から創立を託された創価大学を、この日に開学したのも、ただ報恩の思いからであった。
先生は「社会に信念の人を」と念願された。
今、ありとあらゆる分野で咲き出でている “信念の人材桜” を、恩師は会心の笑みで見つめ、讃えてくださっていると確信してやまない。
日本全国に植えられている桜の8割ないし9割を占めているといわれるのが、ソメイヨシノだ。
その淵源は、江戸末期、今の東京・豊島区内にあった染井村の植木職人が「吉野桜」として生み出したことが、有力な説とされる。東京戸田記念講堂が立つ付近である。
地元・豊島で行われるソメイヨシノゆかりの “桜まつり” には、鼓笛隊や音楽隊のメンバーも出演し、喜ばれている。
思えば牧口先生と戸田先生は、この地にあった東京拘置所で、軍国主義の横暴と対峙(たいじ)し、獄中闘争を貫かれた。
私も文京支部長代理として、日本一の折伏を目指し、信頼する友と駆け巡った天地である。
いうなれば、ソメイヨシノが全国へと広がっていったように、私たちは幸福と平和の「創価桜」を日本中に広げゆくことを、誓願したのである。
私は、各地に点在する文京支部の友を訪ねて、東海道など近県にも足繁く通った。今や大発展した相模原や横浜、川崎をはじめ神奈川家族の異体同心の前進が頼もしい。
 
かつて、パッと咲いてパッと散る様を、戦場に潔く命を散らす軍人になぞらえ、桜が軍国主義の象徴として利用された時代もあった。
だが、桜に言葉あらば、愛する我が子を戦地に送り出し、嗚咽(おえつ)をこらえる母の背中を見て、何と語り掛けただろうか。
私は、人間の生命を軽視した「戦争の世紀」から、生命の尊厳を高らかに謳(うた)う「平和の世紀」へと転換する象徴として、日本のあの地この街に桜の木を植樹してきた。
本年1月、アルゼンチン・タンゴの若きリーダーであるラサリ氏が民音公演で来日された折、そうした私の真情を汲んで、「永遠の桜」と題する名曲を贈ってくださった。感謝に堪(た)えない。
日蓮大聖人は桜を譬(たと)えに仰せになられた。
「仏は、私たちの心の中におられます。たとえば、趣のある桜の花が、木の中から咲き出でるようなものです」(御書1491~2㌻、趣意、「十字御書」)と。
桜木の中には、花を咲かせゆく、はちきれんばかりの生命のエネルギーが満ちていて、春になれば一斉に開花する。
同じように、悩み多き凡夫であっても、自行化他の題目を唱え、広布に走るならば、自身の胸中から、仏界という最も尊厳な生命の花を、必ず満開に咲かせていける。
「冬は必ず春となる」(同1253㌻、「妙一尼御前御消息」)のだ。
そして、粘り強く対話を重ねることは、人びとの心田に仏種を蒔(ま)き、生命の無限の可能性への「信」を開くことに通ずると、私は思ってきた。
関西出身の大実業家である松下幸之助翁(おう)と、初めてゆったりと語らったのも、春4月、静岡で行われた桜の植樹祭でのことだった。もう40年以上も前になろうか。
小学校を中退し9歳で奉公に出て以来、幾多の苦難を、不屈の精神力と努力で乗り切ってこられた方である。どんな苦境に陥っても「もう駄目だと思ったことがない」とおっしゃっていた。
この春、新たなスタートを切ったフレッシュマンにも伝えたい、経営王の大成の歩みは、「人間、若いころから苦労しなければモノになりませんよ。苦労が肝心です」の一言(いちごん)に凝縮される。
それはそのまま、わが誉れの常勝関西の同志の心意気と一致する。
使命が大きいゆえに、労苦も大きいことを誇りとし、私と不二の心で一切を勝ち越えてくれる。
常勝とは、不撓(ふとう)不屈の異名だ。「断じて勝つ! 最後は勝つ!」という大確信であり、大闘争心だ。
この「負けじ魂」があるところ、いかなる逆境も、すべて自身の人間革命と、三世永遠にわたる成仏の大境涯を開く糧(かて)となることを忘れまい。
文芸評論家の小林秀雄氏と、桜並木を共に散策し、語り合ったことも思い起こされる。
「人間」への透徹した眼(まなこ)を持つ方であった。
ソクラテスを主人公とする膨大な著書で、弟子プラトンが示したことは、何であったか。
小林氏は、それを「どうあつても戦ふといふ精神」であり、これこそが「真の人間の刻印である」と論じておられた。
師弟とは、究極の人間の絆である。魂と魂の真の触発であり、交流だ。
なかんずく、広宣流布誓願を分かち合い、どんな困難があろうとも戦い抜く師弟の絆ほど、尊く、強いものはないと、私は自負するのだ。
関西の創価学園では、「桜保存会」を中心とした学園生の「桜まつり」が地域でも親しまれている。日頃から学園を支え、お世話になっている近隣の方々などへの感謝を込めた花の宴である。
東京校の友情の池を飾る「学園桜」も、札幌創価幼稚園の園児たちと共に植えた「わが子桜」「王子桜・王女桜」も、希望の瞳に光り映えるに違いない。
そして今日、4月2日、「桜の城」と輝く創価大学キャンパスで、45回目の入学式が行われる。全員が英知の花、栄光の花を朗らかに咲かせゆけと、願ってやまない。
 
創価大学で私は、ロシアのゴルバチョフ氏(元ソ連大統領)夫妻とも、一緒に桜を植樹した。
ロシアの文豪チェーホフの戯曲 『桜の園』 を巡っての語らいも蘇る。
この作品では、人間らしい魂をなくした富豪らに翻弄(ほんろう)される人びとと、どんな状況に陥ろうとも確固として信念を貫く青年トロフィーモフの生き方が描かれている。
青年は叫ぶ。
「人類は、この地上で望みうる限りの最高の真理、最高の幸福を目指して進んでいるが、僕はその最前列にいるんだ!」
だが――それを聞いた男が言う。
「行きつけるかな?」
それでも青年の心は揺るがない。
「行きついてみせる」
この誇り。この覚悟。この闘志。これこそ創価の青年の魂である。
我らが目指すもの――それは世界の平和であり、全民衆の幸福だ。そのために、人類の先頭に立って「立正安国」の旗を高く掲げ、地域広布の大道を開き進むのだ!
桜前線は、いよいよ新潟など信越・北陸を進み、福光の春を開く東北の地を包む。
勇気に燃えて、友情を広げる、私たちの躍進と呼応するかのように!
そして、北海道に達するのは今月下旬。札幌で見頃となるのは5月3日前後という。桜をこよなく愛された戸田先生の故郷である厚田の地も、それに続いて満開を迎えると予想されている。
さあ、我らもまた、わが愛する地域を幸と希望の桜花で包みゆこう!
対話の花を、あの友この友と咲かせゆこう!
「水魚の思」で結ばれた創価家族と共に、わが心の大地に福徳と歓喜の桜花を咲かせながら、勝利満開の「5月3日」を、晴れやかに迎えようではないか!
 
民衆の
凱歌の春を
断固して
万朶(ばんだ)の桜と
功徳の花 咲け
ソローの言葉は 『森の生活』 飯田実訳(岩波書店)、小林秀雄は 『考へるヒント』 (文藝春秋新社)、チェーホフは 『桜の園』 小野理子訳(岩波書店)。

「春の到来は 『混沌(カオス)』 からの 『宇宙』 の創造であり、 『黄金時代』 の到来であるかのように感じられる」と、アメリカの思想家ソローは語った。
我らも春の到来とともに、生まれ変わった息吹で新たな価値を創造し、人材の花が咲き誇る黄金時代を実現しゆくのだ。
桜前線も、南から北へ――九州、中国、四国、関西、中部、東海道、そして関東へと進んできた。
桜の木の「花芽」ができるのは、いつか。それは前の年の夏。早々に花芽をつくり、開花の準備を始める。そして厳しい冬を越え、春を迎えると同時に、命いっぱいに咲き開くのである。
信濃町の総本部にある「青年桜」も「華陽桜」も爛漫(らんまん)と咲いた。
私には、今春の桜は、ひときわ目覚ましく成長しゆく、創価の丈夫(ますらお)、華陽の乙女の英姿と二重写しに見えてならない。
昨年の夏を中心に行われた創価青年大会を契機に、あの地この地で立ち上がった、新しき熱と力に満ちた若人たちだ。
先日は、沖縄で不戦のスクラム固く、世界青年平和大会が開催された。
胸中に植わった「誓いの芽」を育み、試練の冬に挑み、「使命の花」「平和の花」「幸福の花」「勝利の花」を咲かせゆく、地涌の青春の乱舞が、私は何にも増して嬉しい。
4月2日は、わが恩師・戸田城聖先生が、今世の広宣流布の願業を成就され、霊山(りょうぜん)へ旅立たれた祥月(しょうつき)命日である。
師から創立を託された創価大学を、この日に開学したのも、ただ報恩の思いからであった。
先生は「社会に信念の人を」と念願された。
今、ありとあらゆる分野で咲き出でている “信念の人材桜” を、恩師は会心の笑みで見つめ、讃えてくださっていると確信してやまない。
日本全国に植えられている桜の8割ないし9割を占めているといわれるのが、ソメイヨシノだ。
その淵源は、江戸末期、今の東京・豊島区内にあった染井村の植木職人が「吉野桜」として生み出したことが、有力な説とされる。東京戸田記念講堂が立つ付近である。
地元・豊島で行われるソメイヨシノゆかりの “桜まつり” には、鼓笛隊や音楽隊のメンバーも出演し、喜ばれている。
思えば牧口先生と戸田先生は、この地にあった東京拘置所で、軍国主義の横暴と対峙(たいじ)し、獄中闘争を貫かれた。
私も文京支部長代理として、日本一の折伏を目指し、信頼する友と駆け巡った天地である。
いうなれば、ソメイヨシノが全国へと広がっていったように、私たちは幸福と平和の「創価桜」を日本中に広げゆくことを、誓願したのである。
私は、各地に点在する文京支部の友を訪ねて、東海道など近県にも足繁く通った。今や大発展した相模原や横浜、川崎をはじめ神奈川家族の異体同心の前進が頼もしい。
 
かつて、パッと咲いてパッと散る様を、戦場に潔く命を散らす軍人になぞらえ、桜が軍国主義の象徴として利用された時代もあった。
だが、桜に言葉あらば、愛する我が子を戦地に送り出し、嗚咽(おえつ)をこらえる母の背中を見て、何と語り掛けただろうか。
私は、人間の生命を軽視した「戦争の世紀」から、生命の尊厳を高らかに謳(うた)う「平和の世紀」へと転換する象徴として、日本のあの地この街に桜の木を植樹してきた。
本年1月、アルゼンチン・タンゴの若きリーダーであるラサリ氏が民音公演で来日された折、そうした私の真情を汲んで、「永遠の桜」と題する名曲を贈ってくださった。感謝に堪(た)えない。
日蓮大聖人は桜を譬(たと)えに仰せになられた。
「仏は、私たちの心の中におられます。たとえば、趣のある桜の花が、木の中から咲き出でるようなものです」(御書1491~2㌻、趣意、「十字御書」)と。
桜木の中には、花を咲かせゆく、はちきれんばかりの生命のエネルギーが満ちていて、春になれば一斉に開花する。
同じように、悩み多き凡夫であっても、自行化他の題目を唱え、広布に走るならば、自身の胸中から、仏界という最も尊厳な生命の花を、必ず満開に咲かせていける。
「冬は必ず春となる」(同1253㌻、「妙一尼御前御消息」)のだ。
そして、粘り強く対話を重ねることは、人びとの心田に仏種を蒔(ま)き、生命の無限の可能性への「信」を開くことに通ずると、私は思ってきた。
関西出身の大実業家である松下幸之助翁(おう)と、初めてゆったりと語らったのも、春4月、静岡で行われた桜の植樹祭でのことだった。もう40年以上も前になろうか。
小学校を中退し9歳で奉公に出て以来、幾多の苦難を、不屈の精神力と努力で乗り切ってこられた方である。どんな苦境に陥っても「もう駄目だと思ったことがない」とおっしゃっていた。
この春、新たなスタートを切ったフレッシュマンにも伝えたい、経営王の大成の歩みは、「人間、若いころから苦労しなければモノになりませんよ。苦労が肝心です」の一言(いちごん)に凝縮される。
それはそのまま、わが誉れの常勝関西の同志の心意気と一致する。
使命が大きいゆえに、労苦も大きいことを誇りとし、私と不二の心で一切を勝ち越えてくれる。
常勝とは、不撓(ふとう)不屈の異名だ。「断じて勝つ! 最後は勝つ!」という大確信であり、大闘争心だ。
この「負けじ魂」があるところ、いかなる逆境も、すべて自身の人間革命と、三世永遠にわたる成仏の大境涯を開く糧(かて)となることを忘れまい。
文芸評論家の小林秀雄氏と、桜並木を共に散策し、語り合ったことも思い起こされる。
「人間」への透徹した眼(まなこ)を持つ方であった。
ソクラテスを主人公とする膨大な著書で、弟子プラトンが示したことは、何であったか。
小林氏は、それを「どうあつても戦ふといふ精神」であり、これこそが「真の人間の刻印である」と論じておられた。
師弟とは、究極の人間の絆である。魂と魂の真の触発であり、交流だ。
なかんずく、広宣流布誓願を分かち合い、どんな困難があろうとも戦い抜く師弟の絆ほど、尊く、強いものはないと、私は自負するのだ。
関西の創価学園では、「桜保存会」を中心とした学園生の「桜まつり」が地域でも親しまれている。日頃から学園を支え、お世話になっている近隣の方々などへの感謝を込めた花の宴である。
東京校の友情の池を飾る「学園桜」も、札幌創価幼稚園の園児たちと共に植えた「わが子桜」「王子桜・王女桜」も、希望の瞳に光り映えるに違いない。
そして今日、4月2日、「桜の城」と輝く創価大学キャンパスで、45回目の入学式が行われる。全員が英知の花、栄光の花を朗らかに咲かせゆけと、願ってやまない。
 
創価大学で私は、ロシアのゴルバチョフ氏(元ソ連大統領)夫妻とも、一緒に桜を植樹した。
ロシアの文豪チェーホフの戯曲 『桜の園』 を巡っての語らいも蘇る。
この作品では、人間らしい魂をなくした富豪らに翻弄(ほんろう)される人びとと、どんな状況に陥ろうとも確固として信念を貫く青年トロフィーモフの生き方が描かれている。
青年は叫ぶ。
「人類は、この地上で望みうる限りの最高の真理、最高の幸福を目指して進んでいるが、僕はその最前列にいるんだ!」
だが――それを聞いた男が言う。
「行きつけるかな?」
それでも青年の心は揺るがない。
「行きついてみせる」
この誇り。この覚悟。この闘志。これこそ創価の青年の魂である。
我らが目指すもの――それは世界の平和であり、全民衆の幸福だ。そのために、人類の先頭に立って「立正安国」の旗を高く掲げ、地域広布の大道を開き進むのだ!
桜前線は、いよいよ新潟など信越・北陸を進み、福光の春を開く東北の地を包む。
勇気に燃えて、友情を広げる、私たちの躍進と呼応するかのように!
そして、北海道に達するのは今月下旬。札幌で見頃となるのは5月3日前後という。桜をこよなく愛された戸田先生の故郷である厚田の地も、それに続いて満開を迎えると予想されている。
さあ、我らもまた、わが愛する地域を幸と希望の桜花で包みゆこう!
対話の花を、あの友この友と咲かせゆこう!
「水魚の思」で結ばれた創価家族と共に、わが心の大地に福徳と歓喜の桜花を咲かせながら、勝利満開の「5月3日」を、晴れやかに迎えようではないか!
 
民衆の
凱歌の春を
断固して
万朶(ばんだ)の桜と
功徳の花 咲け
ソローの言葉は 『森の生活』 飯田実訳(岩波書店)、小林秀雄は 『考へるヒント』 (文藝春秋新社)、チェーホフは 『桜の園』 小野理子訳(岩波書店)。