【第19回】咲き薫れ 希望の花々 2015-3-11

 
不屈なる
歴史を創りし
不二の友
新生の花
三世に薫らむ
北国(きたぐに)の春は、厳しい冬を勝ち越えた喜びが、弾けるように花開く。
福島県・三春町(みはるまち)の「三つの春」という町名の由来には、 “梅、桃、桜が一斉に咲き薫る" との伝承があると伺った。
この三春の地に、草創の福島班が誕生したのは、昭和28年の厳寒の1月であった。
聖教新聞の創刊号で報道された、神奈川の鶴見支部に炎上した広布の「聖火」が、この地にも燃え広がったのである。
 
福島そして、宮城、岩手をはじめ尊き東北の同志は、いかなる烈風にも怯(ひる)まず、友の心に「希望」の火を灯してきた。
「希望」──それは、明日への前進の源だ。蘇生の原動力である。
「希望」とは、自らが創り出していくものだ。志を同じくする友と、強く深く、育み合っていくものである。
東日本大震災から4年──私は全ての犠牲者の方々に追善・回向の題目を捧げるとともに、被災地の復興と皆様方の幸福を真剣に祈っている。
今も、わが東北家族は不撓(ふとう)不屈の「みちのく魂」で “福光の春” へ、一歩、また一歩と歩み続けておられる。
「心を壊(やぶ)る能(あた)わず」(御書65㌻、「守護国家論」)と、災難にも崩れぬ信仰をもって、一人ひとりが、断固と希望に生き抜いてこられた。
逝去なされたご親族やご友人のためにも、強く強く生き抜かれる皆様方こそ、現代において “冬を必ず春となす” 日蓮仏法の体現者なのだ。
東北の気高き忍耐の大地から、「桜梅桃李」の多彩な人華(にんげ)が、いやまして凜然(りんぜん)と咲き誇っているではないか!
妻から、福島のある母の話を聞いた。
母の心には、あの震災直後、過酷な生と死の境にあって、互いを労(いたわ)り、励まし合って生き抜いてきた多くの方々の姿が焼き付いて離れない。
最近、無我夢中だった当時を見つめ直し、気づいたことがあるという。
それは、「人間には、極限にあっても発揮される強さと美しさがある」ということであった。
大震災、大津波という何もかも奪い去る試練の中で、民衆がいかに尊厳なる人間の底力を示し切ってこられたか。
そして、亡くなられた方々も、最後の最後まで人間の尊貴さを護り抜いていかれた。
福島の母は、この真実を、誇りをもって次の世代に語り継いでいきたい、決して風化させはしないと言われるのだ。
かつて私は、「どのような人が理想ですか?」と質問を受けたことがある。私はお答えした。
静かだが深い人、優しいけれど強い人、平凡だが英知の人、純粋だけど勇気のある人、と。
そんな大好きな友が、東北には大勢いる。この誉れの父母(ちちはは)たちの奮闘と団結によって、奇跡の復興が成し遂げられてきたことを私は忘れない。
後継の東北青年部も、何と明るく、何と逞(たくま)しく、新生の道を勝ち開いてくれていることか。
この3月中旬に、仙台で行われる「第3回国連防災世界会議」への青年部を中心とする取り組みも、各界から深い期待が寄せられている。
大震災の直後に、わが創価大学に入学してくれた英才たちが、いよいよ今月、卒業を迎える。
4年前は入学式も行えなかった。社会全体が動揺する中、被災地出身の友をはじめ、皆の不安や苦労もひとしおであっただろう。しかし、立派に成長してくれた。よくぞ頑張ったと、一人ひとりを心から労(ねぎら)いたい。
創価大学のボランティアチームの一員として、故郷・石巻の復興支援に携(たずさ)わった青年もいる。
震災当時、ある地区部長は3人のお子さんを亡くされた。そうした悲嘆を抱えた故郷の同志にとっても、この創大生は希望の存在だった。彼はその期待に応え、公認会計士の狭き門を突破した。
成長を見守ってきた、石巻の同志とご家庭の笑顔が思い浮かぶ。また、共に励まし合い、苦楽を分かち合ってきた創大生の連帯を讃えたい。
 
思えば、今年は、阪神・淡路大震災から20年の節であった。
関西の友は甚大な苦難を耐え抜き、乗り越えてきた先駆けである。東北に同苦し、わが事のように復興を祈り、懸命に励ましを送ってくれた。
「負けたらあかん!」の関西から、「負げでたまっか!」の東北へ、負けじ魂の継承劇が、そこにはあった。
東日本大震災の直後、救援物資を携え、東北ヘ駆けつけてくれた新潟、北海道の友らの真心も、世界からのエールも忘れることはできない。
この同志愛は、若き友に受け継がれ、大いなる希望の光となっている。
昨年の総兵庫の青年大会では、地元のノーベル少年少女合唱団が、宮城県の青葉少年少女合唱団と、映像を介して共演した。それは、未来を創り開く歌声だ。
不屈の生命で結ばれた大地から、力強い凱歌の春が始まっている。
今年も「3・16」が巡りくる。57年前(昭和33年)のあの日、戸田先生のお体は既に衰弱されていた。
しかし、厳然と「広宣流布の模擬試験」となる式典の指揮を執られた。師は命を賭(と)して、後継の旗を、分身の弟子に託してくださった。
その厳粛な儀式には、東北から、関西から、日本各地から馳せ参じてくれた青年たちがいた。
広宣流布そして「令法久住」(りょうぼうくじゅう、法をして久しく住せしめん)の若き陣列が出発したのだ。
 
人も物も「生老病死」「成住壊空(じょうじゅうえくう)」の流転を免れることはできない。
だが、妙法という法は常住不滅である。大事なのは法そのものである。
その上で大切なのは、根本の法を「実践」する人だ。そして「後継」する人材群である。競い起こるこる困難にも屈せず! 異体同心の団結で!
「3・16」のあの日、戸田先生は生涯の凱旋として、「創価学会は宗教界の王者なり」と師子吼(ししく)なされた。
それは、「立正安国の人材育成」の宣言でもあったといってよい。
我らは、いかなる混迷の世にも、揺るがぬ信念と哲学をもって、王者堂々と、民衆の幸福のため、社会の繁栄のため、世界の平和のために戦い抜く創価のリーダーを送り出し続けるのだ。
今、21世紀の本格的な広布の時到来とともに、この「立正安国の人材」が、各地で威風も堂々と立ち上がっている。わが恩師もどれほど喜ばれていることか。
世界広布新時代の「3・16」──それは、世界中の創価の青年が、民衆の勝利と平和の建設という価値創造へ、誓願に燃え立つ日である。
「3・16」の舞台となった静岡、「正義」と「共戦」の神奈川の友は先月、横浜・鶴見の講堂で意気高く総会を行った。
そこでも若人の成長とスクラムが光っていた。
“誓いの青年(きみ)” よ!
私の一番の喜び、それは、君たちの勝利だ。
私の最高の勝利、それは、あなた方の幸福だ。
今いる場所で、立正安国を祈り戦う同志よ!
私の最大の願い、それは、一番苦しんだ地域の方々が、尊い地涌(じゆ)の生命を輝かせ、幸光る共生の楽土を築くことだ。
 
アメリカの思想家エマソンは綴(つづ)っている。
「私たちの対話は、私たちがいままで見て来たよりもさらにすぐれた世界に私たちが属していることをさとらせ、一つの精神力が私たちをさし招いていることを知らせてくれる」
「真の対話」は、相手を尊敬し、相手から学ぶことだ。そこに互いの向上があり、喜びがある。
「対話」で開けぬ道など絶対にない!──この確信で、真心と慈悲の発露のままに語ることだ。相手の仏性を信じ抜く祈りを根底に置いて、誠実に言葉を紡(つむ)ぐ時、「真の対話」が生まれる。
日蓮大聖人は、「よく・よく・かたらせ給へ」(御書1227㌻、「弥源太殿御返事」)、さらに「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(同1361㌻、「諸法実相抄」)等々と繰り返し仰せである。
「音(こえ)も惜(おし)まず」(同504㌻、「如説修行抄」)正義を叫び抜けとも言われた。
黙っていては、大善を為し得ない。臆さず、自分らしく、自信満々と声を響かせていくのだ。
民衆の真実の声、確信の声が轟くところ、必ず「立正安国」の夜明けが開かれるのである。
さあ、創立85周年の「5・3」へ、常勝の春の曲を奏でながら、勇気と希望の対話の花々を爛漫(らんまん)と咲かせゆこう!
 
朗らかに
桜梅桃李の
生命(いのち)にて
乱世を勝ち抜け
いまだこりずと
エマソンの言葉は 『エマソン選集3』 小泉一郎訳(日本教文社)。