小説「新・人間革命」 母の詩 53 12月3日

先師・牧口初代会長、恩師・戸田第二代会長――この両先生の死身弘法の精神を継承せずしては、広宣流布の未来も、学会の未来もない!
 これが、山本伸一の結論であった。だから彼は、全国の研修所(現在の研修道場)をはじめ、各地の主要会館などに、その精神を思い起こし、学ぶ縁となる石碑などの設置を提案し、推進していったのである。
 伸一は、九月の二十四日から十月六日まで、関西、中部を訪問した。
京都文化会館(当時)では、牧口の「一人立つ精神」、戸田の「広布の誓」の文字を刻んだ石を除幕。和歌山県白浜町の関西総合研修所では、庭に、先師、恩師の名を冠し、「牧口庭園」「戸田庭園」と命名している。
 十月二日は、第一回「世界平和の日」記念勤行会が、東京・信濃町の学会本部をはじめ、全国の主要会館で実施された。
 「世界平和の日」は、伸一が、初の海外訪問に出発し、世界平和への第一歩を踏みだした一九六〇年(昭和三十五年)の十月二日を記念して、九月の副会長室会議で決定したものである。
 関西を訪問中の伸一は、関西センター(当時)での記念勤行会に出席し、あいさつした。
 「牧口初代会長は、万人が仏になるという仏法哲理を掲げ、軍部政府と戦い、殉教された。
そして、戸田第二代会長は、生命の尊厳のうえから、また、被爆国民の使命のうえから、『原水爆禁止宣言』を発表され、世界平和への道を開くことを私に託されました。
 世界平和を願う私の信念は、先師、恩師によって育まれたものであります。また、私の平和行動の原動力は、戸田先生のご遺志を実現せんとする弟子としての一念にあります。
 私は、平和創造の道を模索し、日本と敵国として戦ったアメリカの、なかでも日米開戦の舞台となったハワイを最初に訪問しました。
さらに、次の旅では、英国領の香港(当時)をはじめ、日本が占領したアジア各地を、平和への誓いを込めて歴訪いたしました」