小説「新・人間革命」 母の詩 52 12月2日

九月十六日、山本伸一は、牧口園で行われた、戸田城聖の歌碑の除幕式に出席した。
 代表メンバーの手で、白布が取り除かれると、石に刻まれた戸田の歌が、目に飛び込んできた。
  
  妙法の  広布の旅は  遠けれど  共に励まし  共どもに征かなむ
  
 一九五五年(昭和三十年)の新春に詠んだ歌である。ここには、師弟の、そして、同志の絆の大切さが歌われている。
 広宣流布は一人立たねばできない。と同時に、互いに励まし合い、共に進もうという団結なくしては、広宣流布の広がりはない。
 戸田は、その大聖業を果たしゆく創価学会という教団は、「創価学会仏」であると宣言した。
 大聖人は仰せである。
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(御書一三三七ページ)
 つまり、水魚の思いをもって、心を一つにして信心に励む時、生死一大事の血脈、すなわち、妙法の血脈が流れ通うのだ。
 ゆえに、「創価学会仏」たる根本条件は、広宣流布への異体同心の団結にある。したがって、戸田城聖のこの歌は、全同志が永遠に心に刻むべき指針となるのだ。
 伸一は、この日、牧口園に、戸田の父母の名をつけた「甚七楠」「すえつつじ」を記念植樹した。彼は、恩師を顕彰するために、あらゆる手を尽くしていったのである。
 さらに、その後、十九日には熱海文化会館での本部幹部会、二十日には牧口園で行われた、壮年・男子部の人材育成グループの集いなどに相次ぎ出席。二十一日まで、静岡指導は続いたのである。