小説「新・人間革命」 母の詩 51 12月1日

山本伸一は、力説した。
 「いかに仏法がすばらしく、御本尊が偉大であっても、それを教えてくれる人がいなければ、何も伝わりません。
永遠に無に等しい。ゆえに、大聖人は『法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し』(御書八五六ページ)と仰せになっているんです。
 したがって、その偉大なる法を教えてくださった師を讃え、報恩に生きることが大切であり、そこに人間の真の道もあります」
 そして、彼は、「主師親御書」を拝しながら、仏法を持ち抜いていくなかにこそ、成仏、すなわち、最高の幸福道があることを述べていった。
 「人は、ともすれば、ある程度の身分や立場を得たり、有名になっただけで、自分ほど、偉い者はいないような気になり、これほどの喜びはないと錯覚してしまう。
 大聖人は、その姿を、『少きを得て足りぬと思ひ悦びあへり、是を仏は夢の中のさか(栄)へ・まぼろしの・たのしみなり唯法華経を持ち奉り速に仏になるべしと説き給へり』(同三八六ページ)と喝破されている。
 牧口先生は、秋霜の獄舎で亡くなられた。
しかし、その死は、正法のための誉れある殉教であり、その境地は、絶対的幸福境涯でありました。どうか諸君は、地位や名誉、財産などといったことに紛動される人生ではなく、信仰の王道を、わが人生の使命の道を、堂々と進んでいっていただきたい。
 さらに、大聖人は、このあとに、『而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや』との経文を引かれ、常に諸難が競い起こることを確認されている。
 広宣流布の道に難があるのは当然です。学会の前途は、怒濤の連続でしょう。しかし、諸君は、仏子の集いである学会を守り抜き、ひとたび決めた使命の道を、敢然と歩み通していってください」
 伸一は、青年部の代表に、殉教の先師を顕彰する牧口園で、研修を行ったことの意義を、深く自覚してほしかった。