小説「新・人間革命」 母の詩 44 11月23日

 子育ての苦労は限りない。それだけに、親が子どもを育てることの意義を、どう自覚し、いかなる哲学を胸中に打ち立てているかが、重要になる。
 もちろん、子育て支援や虐待の防止のためには、行政などの取り組みも必要不可欠である。
しかし、より重要なことは、地域社会の中に、共に子どもを守り、若い母親を励まそうとする、人間のネットワークがあるかどうかではないだろうか。
 学会の婦人部には、仏法の眼から見た、子ども観や子育て観が確立されている。そして、既に子どもを育て上げた人たちの体験などが、日常の活動のなかで、若い母親たちに伝えられている。
また、婦人部の「ヤング・ミセス」の組織には、子育ての悩みなどを相談し、励まし合う人間の輪がある。
 さらに、婦人部では、皆が自主的に、子育て中のメンバーを、さまざまなかたちで応援しているケースも少なくない。
 婦人部を中心とした学会の人間ネットワークは、核家族化が進んだ現代にあって、励ましと協力の地域交流のモデルとして、大きな役割を担っているといってよい。
 山本伸一は、八月十二日に、九州総合研修所から東京に戻ると、十四日には茨城を訪問し、郷土文化祭などに出席。健闘する友をねぎらい、讃えた。
そして、十九日には、再び九州総合研修所での諸行事に出席するため、羽田空港を発った。
 空港に向かう途中、伸一は、峯子と共に、母の幸を見舞った。この時も、母は、「私は大丈夫だから、みんなのところに行っておあげ。
みんなのために戦うお前を見ることが、いちばん嬉しいんだよ」と、病の床で、伸一たちを見送ってくれたのである。
 八月の末、伸一は、東京に帰った。神奈川、埼玉、静岡などの訪問のスケジュールが、ぎっしりと詰まるなか、九月五日の東京文化祭を迎えた。
 そして、この五日の朝、母・幸の容体が、思わしくないとの連絡を受けたのである。