小説「新・人間革命」 母の詩 45 11月24日

東京文化祭を終え、大田区の実家に駆けつけた山本伸一は、深い眠りについた母・幸の顔を、じっと見ていた。幾重にも刻まれた皺が、苦闘と勝利の尊き年輪を感じさせた。
 時計の音が、部屋に響いていた。
 伸一は、午前一時半ごろまで付き添っていたが、ひとまず帰宅することにした。六日は月曜であり、朝早く、決裁しなければならない事柄も多いからだ。
 伸一が帰って、五時間近くが過ぎた、九月六日の午前六時十五分、母・幸は、老衰のため、息を引き取った。
 享年八十歳。家族の唱える題目の声を聞きながら、安らかに、霊山へ旅立ったのである。
 伸一は、その知らせを受けると、直ちに自宅で御本尊に向かい、妻の峯子と共に、追善の勤行を行った。彼の脳裏に、平凡で慎ましやかだが、清く、強く、優しかった母との思い出が、次々に浮かんでは消えた。
 子だくさんで、家業が斜陽の道をたどるなかで生きた母の人生は、苦渋と忍耐の日々であったにちがいない。
 しかし、仏法を持ってからの母は、自らの使命に目覚め、ひたすら広宣流布を願い、喜々として題目を唱え続けた。人生の勝負は、総仕上げの晩年にこそ、あるといえよう。
 伸一が、実家に到着し、永眠した母と対面したのは、午前十時半過ぎであった。微笑むような、穏やかな顔であった。
 伸一は、母の冥福を祈って題目を三唱したあと、静かに心で語りかけた。
 母さん。安らかに眠ってください。伸一は、広宣流布のために戦い抜いてきました。母さんは、いつも私を優しく見守り、陰で支え続けてくれましたね。
 霊山に詣でられたら、山本伸一の母と名乗ってください。大聖人は、心から讃歎して、お迎えくださることは間違いありません。
 私は、これからも、母さんへの、報恩のため、世界の尊き母たちのために、人生の一切を、広宣流布に捧げてまいります。母さん。ありがとう!