小説「新・人間革命」 母の詩 46 11月25日

山本伸一の母・幸の通夜は、九月七日に営まれ、翌八日には密葬が行われた。会場は、いずれも、東京・大田区の実家であった。
 出棺となった八日の午後二時過ぎ、車に乗ろうとして、伸一は空を見上げた。
 青空に雲が流れていた。
 十九年前のこの日は、横浜・三ツ沢の競技場で、戸田城聖が「原水爆禁止宣言」を行った日である。その時の光景が、ありありと、伸一の脳裏に浮かんだ。そして、その戸田に、心から信頼を寄せ、戸田に仕えるわが子を、誇りに思うと語っていた、母の言葉が胸に蘇るのであった。
 ――それは、戸田の事業が暗礁に乗り上げ、窮地を脱するために、伸一が奮闘を重ねていたころのことである。給料も遅配が続き、オーバーも買えず、食事も満足にとれないような日々が続いていた。
 伸一は、久しぶりに、実家に立ち寄った。なんの土産も用意できなかったが、せめて母に顔を見せて、安心させたかったのである。
 母は、伸一の身なりから、わが子の置かれた状況を、すぐに察知したようであった。
 幸は、笑みを浮かべて言った。
 「戸田先生が、どれほど立派な方か、私には、よくわかります。たとえ、どんな事態になろうとも、先生のご恩を、決して忘れず、先生のために働き抜きなさい。それが、人間の道です。
 どんなに苦しいことがあっても、自分が正しいと信じた道を貫き、戸田先生に仕えるあなたは、私の誇りです。私のことや、家のことは心配せずに、先生とあなたの大きな理想のために、頑張り抜くんですよ」
 母は、こう言って、家にあった食べ物などを持たせてくれた。
 その言葉が、日々、師を守り抜くために億劫の辛労を尽くす思いで生きていた伸一にとって、どれほど大きな力となったことか。
 母の言葉には、万鈞の重みがある。慈愛と精魂を注いで育ててくれた人の励ましだからこそ、生命の奥深く、染み渡るのである。