小説「新・人間革命」 母の詩 47 11月26日

山本伸一の母・幸が他界したことを知った関西の創価女子学園(当時)の生徒たちは、すぐに、皆で「母」の歌を歌い、テープに吹き込んだ。冥福を祈っての合唱であった。そして、そのテープを、伸一に贈った。
 九月九日の朝、伸一は、それを聴いた。乙女たちの優しさと真心が、熱く、深く、心に染みた。彼は、感謝の思いを込めて、幸の写真を贈り、その写真を収めた台紙の表紙の裏に、歌を認めた。
 
  悲母逝きて  娘らの おくりし 母の曲 今朝に 聞かなむ 大空ひびけと
 
 十三日には、東京・品川区内で、幸の本葬儀が営まれた。
 伸一は、遺族を代表し、謝辞を述べた。
 彼は、母が、七月初旬、全くの危篤状態に陥り、医師も匙を投げた状態であったにもかかわらず、奇跡的な回復を遂げ、以来二カ月余、悠々自適の毎日を送り、満足しきった臨終を迎えたことを語った。
 信心による「更賜寿命」(更に寿命を賜う)の実証を、彼は痛感していた。この母の勝利を、心から感謝し、讃嘆したかったのである。
 そして、これを機縁に、ますます広宣流布に精進していくことを誓い、烈々たる決意をもって話を結んだ。
 母は、世を去った。しかし、人を慈しむ母の心、平和を愛する母の思いは、伸一の心に、生き続けている。さらに、鉄の意志をもった父の心も……。父母の偉大さを証明するのは、残された子どもである。
子が、いかなる生き方をし、何を成し遂げるかだ。父母は、じっと、わが子を見ているのだ。
 御聖訓には「父母の遺体は子の色心なり」(御書一四三四ページ)と仰せである。伸一は、母の遺影に向かい、心で語りかけた。
 母さん! 伸一は大闘争を開始します