小説「新・人間革命」 母の詩 49 11月29日

創価学会の興隆は、初代会長・牧口常三郎と、第二代会長・戸田城聖という師弟の、不惜身命の精神があったからであると、山本伸一は、深く痛感していた。
 日蓮大聖人は、報恩抄に「根ふかければ枝しげし源遠ければ流ながし」(御書三二九ページ)と仰せである。
 法華経の精髄たる、真実の仏法を流布するため、殉教した牧口。そして、獄中で地涌の菩薩の大使命を悟り、生涯を広宣流布に捧げた戸田――この師弟という根をもち、その精神が脈動し続ける限り、創価学会は、未来永劫に興隆し続け、悠久の大河となろう。
 しかし、その師弟の精神が見失われてしまえば、そこから衰退が始まってしまう。
 伸一は、それゆえに、権力の過酷な迫害にも決して屈することなく、広宣流布に殉じた先師・牧口の死身弘法の精神を、後世永遠に顕彰し、伝え残さなければならないと決意していた。そして、牧口に縁の深い静岡県にある、この東海研修所に、牧口園を開設したのである。
 三月に開園式が行われた折、伸一は、園長となった大沢光久に言った。
 「どうして、ここに牧口園を開設したかわかるかい。もちろん、牧口先生が捕らえられたのが静岡県であるからだが、さらに、ここが、温暖で風光明媚なところだからだよ。
 戸田先生は、よく語っておられたが、牢獄の冬は、本当に辛かったそうだ。朝は氷を割って顔を洗い、夜は布団に入っても、震えが止まらない。そして、体が温まらないうちに、朝を迎えてしまうと言うんだ。
 また、独房の中からは、外の景色さえも見ることはできない。
 そんな獄中生活の果てに逝去された牧口先生を顕彰する場所は、冬も比較的温暖で、美しい景色のところでなければならないと、私は心に決めていた。
 それで、ここに、報恩感謝の思いで、牧口先生の魂魄を永遠に刻む地として、牧口園を設けたんだよ」