【第38回】 東北の要の人材城 福島 2010-10-29
広布の道は「平和の道」
昭和59年(1984年)5月13日の第1回福島青年平和文化祭。午後1時半、池田名誉会長が会場の信夫ケ丘競技場に到着した。すぐさま、雨の中、傘もささずにグラウンドへ。
「本当にご苦労様」
「風邪をひかないように」
場内を一周してメンバーを激励すると、開会を早めるよう提案。友の健康に配慮してのことだった。
圧巻は男子部2000人の組み体操。5段円塔ブリッジが成功すると、バックスタンドに文化祭のテーマである「平和の道」の人文字が浮かび上がった。
人文字の原版は、テーマの意義を知った名誉会長が認めて贈った書であった。
この日は「母の日」。女子部の創作ダンスでは、名誉会長作詞の「母」の調べに乗せ、草創の婦人部に感謝の花束を手渡す一幕も。
名誉会長は「満点だね」と大喝采を送った。
そして、文化祭のあいさつで「どうか、慈愛をもって守り、育ててくれたお母さんを大切に」と念願。
帰りの車中では、こう語っている。「親孝行というのは“親からみた孝行”ではなく、子どもたちが自分の生きていく活躍の場を見いだし、成長していくことが、本当の親孝行なのだ」
雨にもめげず、青年たちが「広布」「師弟」に生きる喜びを、誇らかに謳い上げた文化の祭典。それは、“広布の父母”への無上のプレゼントとなった。
名誉会長は詠んだ。
霧雨に 世紀つつみて 三万の 心に染みいる 絵巻嬉しや
文化祭の後、名誉会長は予定を変更し、縁深き「土湯」へと向かった。
さらに、文化祭の会場から駆けつけた土湯グループの友とカメラに納まった。
今、メンバーが活躍する土湯温泉町では、ほとんどの世帯が本紙を愛読。後継の友は歴代の県・圏の青年部リーダーに成長した。地域の要職を担う友も多い。
親から子へ、子から孫へ――福島には「師弟の魂」が脈打つ。だからこそ「東北の要の人材城」と輝く。
あす10月30日は「福島の日」。そして「土湯グループの日」である。