小説「新・人間革命」 母の詩 35 11月11日

 七月十八日、「人間革命の歌」が完成した時、山本伸一は、植村真澄美と松山真喜子に言った。
 「あなたたちに、頼みたいことがある。私の作った『母』の詩に、曲をつけてもらえないだろうか。
 もちろん、自由詩だから、そのまま、曲をつけるのは難しいと思うので、詩は歌にしやすいように整えてあります。それでも、曲にしにくいところがあれば、自由に直してかまいません。
 ただ、一つだけ要望があるんです。曲のイメージは、私の青春の思い出をうたった、あの『森ケ崎海岸』の歌のような感じにしてほしいんだがね」
 一瞬、二人は、当惑した顔で伸一を見た。彼女たちは、作曲の経験がないだけに、無理からぬ話である。
 しかし、すぐに心を決めたのであろう。「はい!」という元気な声が、はね返ってきた。これが、師弟の呼吸である。
 「無理なお願いをして申し訳ないね。悪いけど、頼むよ」
 山本伸一は、七月下旬、中部指導に出かけた。
伸一が、東京に戻り、各部の夏季研修会に出席するため、神奈川の箱根研修所(現在の神奈川研修道場)にいた八月一日、一本のテープが届いた。詩「母」に曲をつけたテープである。
 早速、テープをかけてもらった。しかし、よい歌を作ろうとして凝りすぎてしまったのか、かなり難しい曲になっていた。
 伸一は、二人をねぎらう感謝の言葉とともに、率直な感想を伝えてもらった。
 「ちょっと難しすぎるように思います。皆が歌うので、すまないが、もう少し、歌いやすい曲にしてもらえないだろうか」
 二人は、自分たちが、一番大事なことを、見落としていたことに気づいた。
 歌は、民衆のためにある。みんなが歌えてこそ、本当にすばらしい歌といえる。私たちは、その先生の心を見失っていた……