小説「新・人間革命」 厳護 5 12月11日

牙城会  君達ありて  創価城  栄え 勝ちなむ  広宣流布へと
 
 創価の師子を育てようと、学会本部をはじめ、会館の警備にあたる青年たちの人材育成機関として「牙城会」が結成されたのは、一九七一年(昭和四十六年)の二月であった。
 その十年ほど前から、男子部などが、学会本部や会館の警備にあたり、戸締まりや火の元などの点検も行ってきた。
 山本伸一は、陰で黙々と、本部、会館を守ってくれているメンバーに、深く感謝し、折々に激励を重ねてきた。
 「見える処より 見えない処に」(注)とは、作家の武者小路実篤の言である。
 陰の力に徹し、広宣流布を支え、学会を守るなかにこそ、最も尊い仏道修行の姿がある。
伸一は、その精神を、男子部の永遠の精神とし、継承していく意味から、会館警備のメンバーを正式に定め、全国的な人材育成機関としていく必要性を感じていた。
 また、七二年(同四十七年)に、正本堂の建立寄進と総本山周辺の整備が完了すると、学会は、いよいよ会館建設に力を注ぐことになっていた。
それまでは、総本山の整備や寺院の建立を第一義としていたため、学会の会館建設は、後回しにしてきたのである。
 全国各地に、新しい会館が誕生すると、警備を担当するメンバーの育成も、重要な課題となる。
 男子部の首脳幹部らも、会館警備のメンバーの組織化を考えていたようだ。
 七一年(同四十六年)の初頭、男子部の首脳幹部から、会館担当メンバーの育成について相談を受けた時、伸一は、即座に言った。
 「会館の警備にあたってくださっているメンバーの組織をつくることは、私も賛成です。人材育成機関として、名称も決めよう。私が命名させていただきます」
 
■引用文献  「真実」(『武者小路實篤全集11』所収)小学館