小説「新・人間革命」 厳護 6 12月14日
「学会本部も、会館も、広宣流布の牙城だ。その城を守る人材育成の組織だから、『牙城会』にしよう」
山本伸一は、男子部首脳に、こう伝えた。
牙城とは、大将のいる、城の本丸をさす言葉である。かつて中国で、大将の旗は、竿の先に象の牙を飾ったことから牙旗と呼ばれ、その旗の立つ城を牙城と呼んだ。
伸一は、戸田と、この「牙城」という言葉について語り合い、以来、深く大切に胸に温めてきたのだ。
会館警備のメンバーで、新たに「牙城会」を結成し、新出発するという話は、直ちに全国各地に伝えられた。
そして、一九七一年(昭和四十六年)の二月一日から、メンバーは「牙城会」として着任したのである。いわば、この日が、事実上の結成となったのだ。
また、牙城会員に貸与されるバッジも出来上がった。「学会」「厳護」「牙城会」の頭文字である、アルファベットの「G」をデザインした金のバッジである。
「厳護」とは、厳重に護り抜くことだ。もともと仏典に説かれ、「嚴護法城」ともある。
不惜身命の決意で、広宣流布の法城である本部・会館を、学会を、会員を厳護しようというのが、「牙城会」の精神である。
七五年(同五十年)八月には、「牙城会」の全国の代表五千五百人が集い、夏季講習会が開催された。この時、武道大会として、柔・剣道の方面対抗試合が行われたのである。
「若い時代には、およそ鍛錬が望ましい」(注)とはヒルティの言葉である。
また、翌七六年(同五十一年)六月の副会長室会議では、青年部の各部や各グループの日が定められ、九月一日が「牙城会の日」と決まった。
伸一は、本陣を守護し、学会を厳護する使命をもつ「牙城会」の日には、この九月一日が最もふさわしいと考えていたのである。