小説「新・人間革命」 母の詩 38 11月16日

山本伸一は、ソニア夫人に懸命に訴えた。
 「運命を価値に転換してください。その人が人間としての勝利者です。王者です。
 ソニア夫人が悲しめば、亡きご主人も悲しまれるでしょう。夫人が笑顔で立ち上がれば、ご主人も喜ばれるでしょう。夫人とご一家の勝利が、ご主人の勝利となるでしょう」
 伸一は、ソニア夫人に、家族のためにも、インドの民衆のためにも、苦難に負けずに、強く、強く、生き抜いてほしかった。
 「前へ、また前へ進んでください。振り返らないことは、とても難しいことです。無理なことかもしれません。けれども偉大な人は、あえて足を踏みだす人です。
 お国の釈尊は、『現在と未来』を見よと教えました。すべては『これから』です。いつも『これから』なんです。前進のなかに勝利があります。栄光があります。幸福があります。
 一番、悲しかった人が、一番、晴れやかに輝く人です。悲しみの深かった分だけ、大きな幸福の朝が来るのです」
 ソニア夫人は、伸一の贈り物のオルゴールを、気に入ってくれたようであった。
 二年後の一九九四年(平成六年)秋、夫人は、東京富士美術館で開催された「アショカ、ガンジーネルー展」のオープニング式典に、わざわざインドから来日してくれた。
 再会した折、ソニア夫人は言った。
 「前にインドでくださったオルゴールが、大好きで、毎日、聴いていました。娘のプリヤンカが、よく知っています。聴けない時は、寂しく感じます」
 そして、毎日、聴いていたため、遂にオルゴールは壊れてしまったというのである。
 伸一が、「新しいものを用意させます」と言うと、夫人は、静かに微笑を浮かべた。
 インドの母の心は、「母」の歌と、共鳴の調べを奏で、あのオルゴールに愛着をいだいてくれていたのだ。
 伸一は、ソニア夫人の、その心が、嬉しくもあり、ありがたくもあった。