小説「新・人間革命」 勝ち鬨 八十 2018年3月14日

仙北郡太田地域で、初代地区部長として戦ってきたのが、小松田城亮である。
彼は、一九五三年(昭和二十八年)、東京の大学で学ぶ五男が帰省した折、信心の話を聞いた。
城亮の妻・ミヨは病弱で、長男の子どもたちは相次ぎ他界し、長男の嫁も結婚三年にして敗血症で亡くなっていた。
先祖伝来の黄金の稲穂が実る広大な田畑を有してはいたが、心は暗かった。
不幸続きの人生に合点がいかなかった彼は、仏法で説く因果の理法に触れ、半信半疑ながら、妻、長男と共に入会した。
秋田県の太田町(後の大仙市の一部)周辺で、最初に誕生した学会員である。
勤行を始めた妻は日ごとに元気になり、暗かった家に笑い声が響くようになった。
また、激励に通ってくれる学会員が、それぞれ大きな苦労を抱えながらも、強く、明るく、前向きに生きる姿に、信心への確信をもった。
人に仏法の話をしたくてたまらず、最初に弘教したのが従弟だった。
妻の実家も、信心を始めた。時間をつくり出しては、ワラ蓑に菅笠姿で、夫妻で折伏に歩いた。
地域には、親戚が多かった。
親類から親類へ、そして知人へと弘教の輪が広がり、五九年(同三十四年)には、地元・太田地域に地区が結成され、城亮は地区部長になった。
入会から十年ほどしたころには、親族のうち四十七軒が入会し、県南一円に約四千七百世帯の学会員が誕生するまでになった。
しかし、順風満帆な時ばかりではなかった。
六三年(同三十八年)には、出先で自宅の家屋が全焼したとの知らせを受ける。
代々続いた家と家財道具を、すべて焼失したのだ。
「『最高の教えだ。必ず守られる』と言っていたではないか!」と、疑問と不信の声があがった。
だが、彼は、にこにこと笑みを浮かべて、胸を張って言い切った。
「大丈夫し、すんぱい(心配)すんなって。御本尊さある!」
心に輝く確信の太陽は、周囲の人びとを覆う、不安の暗雲をも打ち破っていく。