小説「新・人間革命」 勝ち鬨 八十一 2018年3月15日

小松田城亮の一家は、仮住まいの作業小屋に御本尊を安置し、唱題に励んだ。
弘教に、後輩の激励にと、自転車であぜ道を走った。
やがて、家も新築することができた。
一族の学会員からは、高校の理事長や役場で重責を担う人など、たくさんの社会貢献の人材が出ていた。
また、学会にあっても、多くのメンバーがリーダーとして活躍している。
県長の小松田俊久も、その一人であった。
城亮の人材輩出の秘訣は、自分が弘教した人は、独り立ちするまで、徹底して面倒をみることであった。
彼は、よく後輩たちに語ってきた。
「自分が弘教した人が、一人で弘教できるようになるまで、一緒に行動し、育て上げる責任がある。
つまり、自行化他の実践を教え抜くまでが折伏である」
山本伸一は、一族、地域の広布の"一粒種"となった小松田城亮の話を、秋田の幹部から詳細に聞いていた。
城亮は、既に八十四歳であるという。
伸一は深く思った。
"学会の大発展は、こうした、人知れず苦労を重ねながら、誠実と忍耐で、家族、兄弟、親戚、そして、地域の友人たちと、強い信頼の絆を結び、それを広げてきた数多の無名の英雄がいたからこそ、築かれたのだ"
自由勤行会で伸一は、草創の同志の涙ぐましいまでの活動に深く敬意を表したあと、午前中の勤行会参加者を「吹雪グループ」、午後の、この勤行会参加者を「嵐舞グループ」とすることを提案した。
喜びの大拍手が鳴りやまなかった。
勤行会終了後、再び会館前の公園で記念撮影が行われた。雪は、すっかりやんでいた。
小松田県長の音頭で、万歳を三唱した。
「万歳! 万歳! 万歳!」
勝利の雄叫びが天に舞った。
この日を記念して、伸一は和歌を贈った。
 
 「寒風に 喜々と求道 広布へと
     胸張る秋田の 友は光りぬ」