2018-03-18から1日間の記事一覧
「不屈の東北」に陰徳陽報の春 人華爛漫の理想郷と世界に輝け 今、私の胸に響いて、離れない御聖訓がある。 「陰徳あれば陽報あり」(御書一一七八ページ)――これは、打ち続く苦難と忍耐強く戦い抜いて、遂に勝利の実証を示しゆかんとしていた四条金吾への仰…
一切は現証には如かず (教行証御書、1279ページ) (通解) 一切は現証(現実の結果)にすぎるものはない。 同志への指針 妙法の功力は絶対であり、必ず現証を示すことができる。 牧口先生は、「百発百中」の実証の体験を、座 談会で、新来の友や若人に語…
我がわかき身に親にはやくをくれて教訓をもうけ給はらざるらんと・御心のうちをしはかるこそなみだもとまり候はね (上野殿御返事、1509ページ) (通解) “自分は若い身で親に早く先立たれ、教訓をも承ることがなかった”という、あなた(南条時光)の御心…
青年ありて創価の未来は盤石 力の限り人間革命の勝利劇を! 一、「青年」は、人類の希望の宝である。 「青春」は、生命の栄光の舞である。 そして「若さ」は、大宇宙の創造の力である。 我らの地球を壮大に結ぶ地涌の青春の大スクラム、誠におめでとう! み…
【あらすじ】 1978年(昭和53年)1月6日、新春本部幹部会で広布第2章の「支部制」の実施が発表される。 山本伸一会長は、1月14日には、東京・立川文化会館で行われた第2東京本部の婦人部勤行会に出席。 伸一は、婦人部の小単位の学習・懇談に一段と弾みを…
山本伸一は、言葉をついだ。 「何かを成し遂げよう、改革していこうと思えば、必ず分厚い壁があり、矛盾に突き当たる。 いや、現実は矛盾だらけだ。 しかし、そのなかを、日々、聡明に、粘り強く、突き進むしかない。 ましてや、世界広宣流布は、前人未到の…
自由勤行会を終えた十三日夜、山本伸一は、秋田市内で行われた県青年部の最高会議に出席した。 翌日は、県青年部総会が予定されていた。彼は、若きリーダーたちの意見、要望を聞くことに、多くの時間をあてた。 地域広布の確かな流れを開くために、人材育成…
小松田城亮の一家は、仮住まいの作業小屋に御本尊を安置し、唱題に励んだ。 弘教に、後輩の激励にと、自転車であぜ道を走った。 やがて、家も新築することができた。 一族の学会員からは、高校の理事長や役場で重責を担う人など、たくさんの社会貢献の人材が…
仙北郡太田地域で、初代地区部長として戦ってきたのが、小松田城亮である。 彼は、一九五三年(昭和二十八年)、東京の大学で学ぶ五男が帰省した折、信心の話を聞いた。 城亮の妻・ミヨは病弱で、長男の子どもたちは相次ぎ他界し、長男の嫁も結婚三年にして…
山本伸一は、秋田の同志の敢闘に対して、さらに提案した。 「皆さんの健闘と、大勝利を祝い、勝ち鬨をあげましょう!」 「オー!」という声が沸き起こった。 そして、民衆勝利の大宣言ともいうべき勝ち鬨が、雪の天地に轟いた。 「エイ・エイ・オー、…………」 …
山本伸一は、十三日朝、秋田文化会館で役員らと共に勤行したあと、市内での協議会に出席し、正午過ぎ、記念撮影の会場となる、会館前の公園へ向かった。 そこには、午前中、二回にわたって行われた勤行会の参加者が、記念撮影のために喜々として集まっていた…