小説「新・人間革命」〉 勝ち鬨 八十三 2018年3月17日

山本伸一は、言葉をついだ。
「何かを成し遂げよう、改革していこうと思えば、必ず分厚い壁があり、矛盾に突き当たる。
いや、現実は矛盾だらけだ。
しかし、そのなかを、日々、聡明に、粘り強く、突き進むしかない。
ましてや、世界広宣流布は、前人未到の新航路だ。困難だらけのなかでの建設です。
頼れる人など、誰もいないと思い、一人立つのだ!
皆が山本伸一になるんです。
全員が、この自覚に立つならば、二十一世紀は、洋々たる希望の世紀となる。
明日の県青年部総会は、その船出の集いにしよう」
翌十四日付の「聖教新聞」には、二・三面見開きで、「秋田 冬は必ず春の誉れの友の吹雪舞」の大見出しが躍った。
そして、それぞれの面に一枚ずつ、全面を使って、前日の記念撮影の写真が掲載されたのである。
十四日は、雪が激しく降り続き、一日中、気温は氷点下であった。
伸一は、秋田文化会館で、次々と功労者に贈る和歌を詠み、また、支部証を揮毫していった。
瞬間瞬間が完全燃焼の日々であってこそ、人生は金色に輝く。
さらに彼は、会館にやって来た、仙北郡の太田地域で初代地区部長を務めた小松田城亮と妻のミヨを励ました。
「健康、長寿を祈っています。お二人が元気であることが、みんなの誇りになります。同志を見守ってあげてください」
そして、伸一は、会館前にある公園の一角に、地元・山王支部などのメンバーがつくった「かまくら」へ向かった。
かまくら」は、横手地方などで行われてきた、小正月(旧暦の一月十五日)の伝統行事の名であり、その時に雪でつくる室を「かまくら」という。
彼は、激励の揮毫をしていた時、窓から、降りしきる雪のなか、「かまくら」づくりに精を出しているメンバーの姿を目にした。
秋田の冬の風物詩を知ってほしいと労作業に励む同志の、尊く、温かい心遣いに胸を打たれた。その真心に真心で応えたかった。