小説「新・人間革命」 勝ち鬨 八十七 2018年3月22日

秋田指導の翌月となる二月の七日、山本伸一は休む間もなく茨城県を訪問した。
茨城もまた、正信会僧による卑劣な学会攻撃の烈風が盛んに吹き荒れた地である。なかでも鹿島地域本部では、必死の攻防が続いてきた。
鹿島、潮来、牛堀、波崎などの町々で、悪僧の言にたぶらかされて、檀徒となる会員が広がっていったのである。
毎月の御講や、葬儀などの法事の席でも、学会への悪口雑言が繰り返された。それでも同志は、ひたすら耐えてきた。
一九七九年(昭和五十四年)二月、鹿島地域の神栖に学会が建立寄進した寺院が落成した。
同志は、この寺なら、清純な信心の話が聞けるだろうと希望をいだいた。
しかし、落慶入仏式の席で、新任の住職から発せられたのは、学会を謗法呼ばわりする言葉であった。
広宣流布を、僧俗和合を願っての赤誠は踏みにじられたのだ。
龍ケ崎筑波山南部の地域(後のつくば市)などでも、学会への非難・中傷が激しくなっていた。
同志たちにとって、最も残念だったのは、つい先日まで一緒に広布に生きようと話し合ってきた友が、悪僧に踊らされていることが分からず、信心を狂わされ、人が変わったようになっていったことであった。
"今に正邪は明らかになる!""必ず、学会の正義を示してみせる!"
同志は、こう誓い、郷土に"春"を呼ぼうと広布に走った。
この時、皆で何度も歌ったのが、七八年(同五十三年)十月、伸一が作詞して贈った県歌「凱歌の人生」であった。
  
  君よ辛くも いつの日か
  広宣流布の 金の風
  歓喜の凱歌の 勝ちどきを
  天空までも 叫ばんや
  ああ茨城は 勇者あり
    
一節一節から、伸一の思いが、びんびんと伝わってくる。
"勇者になるんだ! 負けるものか!"との決意が、皆の胸に湧いた。