小説「新・人間革命」 灯台 54 6月23日

大確信にあふれた山本伸一の声が響いた。
「仏法は、勝負であります。ゆえに、広宣流布の使命に生きる皆さんは、断じて社会にあって勝たねばならないし、絶対に勝ち抜いていけるのが、この信心なんです!
末法は『闘諍言訟』と経文にもある通り、争いが絶えず、嫉妬や憎悪、あらゆる策略が渦巻いている時代です。
だからこそ、日々、絶え間ない唱題で、無限の智慧を涌現していくことが大切なんです。
長い人生の途上には、苦しいことも多々あるでしょう。しかし、題目第一に信仰の根本義に立って、人生を生き抜いていくことです。
たとえ、一時的に行き詰まっても、『妙とは蘇生の義なり』(御書九四七㌻)で、そこからまた、題目によって新たな生命力、新たな福運の泉を涌現していくことができる。
いな、その挑戦の繰り返しが人生であることを忘れずに、明るく、さっそうと前進していってください。
農村部の皆さん! 団地部の皆さん! 皆さんの地域を頼みます! 今いるところで、幸せの大城を築いてください。
今日は、本当にご苦労様でした。どうか、気をつけてお帰りください。ありがとう!」
熱気を帯びた大拍手が場内を包んだ。
どの目にも決意が光り、〓は喜びに紅潮していた。
そして、伸一が示した、農村部への〝地域、学会の灯台たれ〟、団地部への〝幸福への船長、機関長たれ〟との指針は、深くメンバーの生命に刻まれていったのである。
また、後年、この二月十七日は、「農村部の日」と定められ、農業の発展と地域広布を誓い合う日となっている。
伸一は、勤行集会の翌年の一九七八年(昭和五十三年)六月二十五日には、東京・立川文化会館で行われた第一回「団地部全国大会」(東日本大会)に出席した。自身のアパート暮らしの思い出を紹介しながら、地域に理想的な人間協調の社会を築くよう訴えた。
そして、この六月二十五日が、後に「団地部の日」となるのである。