小説「新・人間革命」 灯台 52 6月21日

山本伸一は、この二月十七日の勤行集会で、地域社会のパイオニアである、農村部、団地部の友に、日蓮仏法の偉大さと仏道修行の要諦について語っておこうと考えていた。
日蓮大聖人の仏法は、『直達正観』、すなわち『直ちに正観に達する』といって、即身成仏の教えです。
大聖人の御生命である御本尊を受持し、題目を唱えることによって、直ちに成仏へと至る、宇宙根源の法則です。
深淵な生命哲理を裏付けとして、実践的には、極めて平易ななかに、一生成仏への真髄が示された、合理的な、全人類救済のための、大法なのであります」
ここで彼は、日蓮仏法のなんたるかを、極めて身近な譬えを用いて、わかりやすく語っていった。
「極端な話になるかもしれませんが、釈尊の仏法並びに天台の法門を、テレビに譬えて言うならば、法華経以前の釈尊の仏法は、テレビを構成する一つ一つの部品といえます。
そして、テレビの組み立て方を示し、全体像を明らかにしたのが法華経です。さらに、テレビがどんなものかを、理論的に体系づけたのが、天台の法門といえます。
それに対して、日蓮大聖人は、テレビ自体を残されたことになる。それが御本尊に当たります。
もったいない譬えですが、私どもが御本尊を持ったということは、既に完成した立派なテレビを手に入れたことになります。
部品を組み立てたりしなくとも、理論はわからなくとも、すぐに見ることができる。
しかし、テレビを見るためには、スイッチを入れ、チャンネルを合わせなければならない。それが、御本尊への信心であり、仏道修行です。具体的な実践で言えば、唱題と折伏です。
それによって、即座に、希望の画像を楽しむことができる。これが、『直達正観』の原理です」
どんなに深淵な哲理が説かれたとしても、人びとが理解できないものであれば、もともとなかったに等しい。民衆が深く理解し、納得し、実践できてこそ、教えは意味をもつのだ。