復興への勇気(The courage to rebuild) ジャパンタイムズ(6月28日)への寄稿文。
「人生行路の平濶ならざるを知れり」
未曾有の被害を残した3・11の東日本大震災から3カ月余が過ぎた。
犠牲になられた方々は1万5千人を超え、約7千5百人もの行方不明の方々がおられる。
その一人一人が、わが父であり、わが母であり、わが子である。
わが家族であり、わが友であり、かけがえのない命である。
被害はあまりにも甚大である。いまだ避難生活を余儀なくされている方は、十一万人を超え、筆舌に尽くせぬ御苦労が偲ばれてならない。
国や行政機関には、より集中的で迅速、効果的な対応が求められている。
だからこそ、心は負けてはならない。
国際法学者のナンダ博士が送ってくださったメッセージにも、
『今こそ、いかなる脅威にも打ち勝つことができる精神の安全、すなわち強き心を深く培わねばなりません』とあった。
仏法では、
『蔵の財よりも身の財すぐれたり、身の財より心の財第一なり』
と明かされる。
慈悲や勇気や希望など、人間としての至高の資質に勝る財宝があろうか。
そして、この『心の財』は、どんな不慮の事故や災害に遭っても絶対に壊されない。
言葉を失う残酷な大災害であったが、私たちは大きく三つの『希望』を見出している。
第一の『希望』は、
世界との、また身近な地域での人間の連帯である。
大震災が起こるやいなや、世界中から迅速にして具体的な救援の手を差し伸べて頂いた感動は、決して忘れることはできない。
その真心に、私たちは感謝しても感謝しきれない。
一方、被災地では、より強固な共助の絆が生まれている。
大災害の試練に皆で立ち向かうなかで、思いやりや助け合いが光る、尊貴な人間共同体が創出されている。
決して一人きりで苦しむ人を出してはならない。
第二の『希望』は、
被災者の不屈の勇気である。
私が言葉に出来ないほどの感動を覚えたのは、自らも被災しながら、他の人々の救援活動に行動されてきた友の献身的な姿である。
アパートの二階にまでなだれ込んだ濁流の中、自らは空調設備につかまりながら、
乳児を抱えて流されかける男性を背中で壁に押しつけ、
片手でもう一人の隣人の襟元をつかみ、
「腕がちぎれても離すものか」と守り通したと伺った。
こうした幾千、幾万の無名の英雄たちが、家族や友人を失い、家や財産も流されながらも屈することなく、
今も不眠不休で、郷土の復興に奔走されているのだ。
進んで運営を担っておられた。
仏典には、『人のために火をともせば・我が前あきらかなり』と説かれる。
人のためにと行動を起こすことによって、自らの苦悩は前進へのエネルギーに変わる。
そこには、自他共の新たな明日を照らす希望の光が生まれる。
第三の「希望」は、
行動する青年たちの熱と力である。
配管工の彼は店も家も奪われたが、押し潰されるような無力感を払いのけ、水回りの修理など、市内全域を駆けずり回って献身した。
荒れ野と化した街のかつて自宅のあった場所に、仲間と廃材を使って打ち立てた巨大な看板「がんばろう! 石巻」は、市民の心意気の一つのシンボルとなった。
青年は、その若さゆえに『希望』の当体である。
どんなに闇が深くとも、青年が立ち上がるところ、そこから太陽は昇る。
どんなに地道であっても、その一歩から希望の種が撒かれ、『心の財』が積まれるからだ。
「されど人は境遇に支配せられる如き弱きものにあらず」
「願はくは悲哀の下に屈せずして悲哀の上に屹立せよ」。
朝河貫一博士の言葉が、東北の人々の心意気を示している。
ジャパンタイムズ(2011年6月28日付)