小説「新・人間革命」 灯台 36 6月1日

団地で隣同士を隔てているのは、コンクリートの一枚の壁にすぎない。しかし、その団地での人間関係が、なぜ、希薄なのか――。
 新しく造られた団地の居住者は、さまざまな地域から移転してきた人たちである。当然、互いの気心もわからない。
 本来ならば、積極的にあいさつを交わし、交流を重ね、意思の疎通を図るよう努力していくことが望ましい。
 一九六〇年代、七〇年代、団地入居者の世帯主は、三十代が最も多く、若い世代が大半を占めていた。
 世代が若くなるにつれて、プライバシー意識が高くなり、できるだけ人との関わりを避けようとする傾向が強かった。
 それが、隣家との〝心の壁〟を厚くしていた面があったことも否めない。人との関わりを断てば、人付き合いに伴う煩わしさを避けることはできる。
 しかし、集合住宅では、互いに配慮したり、皆で協力しなければならないことも多い。
 近隣の相互理解、信頼という土壌がないなかで、互いが個人の自由や権利を主張し、利害などがぶつかり合うと、話はこじれ、事態は難航しかねない。
 時には、激しい憎悪の応酬となってしまうこともある。
 もちろん、それは、団地に限ったことではない。新しい住宅地などでも、起こりがちな現象である。
 人間が生きるには、人との協調や気遣い、また、礼儀やマナー、支え合い、助け合いが不可欠である。
 その心を育むには、人間をどうとらえるかという哲学が必要である。まさに、それを教えているのが仏法なのである。
 仏法の基本には、「縁起」という教説がある。「縁りて起こる」と読み、一切の現象は、さまざまな原因と条件が相互に関連して生ずるという考え方である。
 つまり、物事は、たった一つだけで成立するのではなく、互いに依存し、影響して成り立っているのである。
 人間もまた、一人だけで存在しているのではない。互いに関係し、助け合って生きているのである。