小説「新・人間革命」 灯台 37 6月2日

団地部のメンバーは、自分の住む団地を、〝人間共和の都〟にしていこうと、各人が積極的に、行動を起こしていった。
 自治会の役員などを進んで引き受け、住民のために奔走し、献身していった人も少なくない。一九七七年(昭和五十二年)の二月七日朝、大阪では、テレビのニュースで、ベッドタウンとして知られる泉北ニュータウンの団地で、自治会の運動が実り、団地内に駐車場が完成したことが報じられた。
この運動の中心となってきたのが、団地内に住む自治会長を務める学会員の婦人であった。
駐車場には、車が整然と並び、団地内の路上に駐車している車は一台もない。
以前は、路上に駐車する車で道がふさがれ、消防車も入ることができないような状態であった。もちろん、当時も車庫法(自動車の保管場所の確保等に関する法律)によって、〝青空駐車〟は禁止されてはいた。
しかし、この団地の駐車スペースはわずかしかなく、マイカーを持つ人たちは、団地内や周辺の道路に車を置かざるを得ないというのが現実であった。
警察に〝青空駐車〟を注意されても、団地住民は、困惑するばかりであった。
そのなかで、この団地で悲しい出来事が起こった。路上駐車していた車の横をすり抜けて走ってきた子どもが、別の車に、はねられ、病院に運ばれたのだ。
嘆き悲しむ母親の姿が、学会員の婦人の胸に焼き付いて離れなかった。
〝とうとう事故が起こってしまった。団地内の路上駐車を、なんとかしなければならない。駐車場だ。駐車場が必要だ〟
彼女は、公団事務所や市役所に掛け合い、団地内を一軒一軒回り、駐車場建設の運動を呼びかけた。その訴えに賛同し、積極的に協力してくれる人もいたが、〝我関せず〟という態度の人も少なくなかった。
普段からの意思の疎通が図られていないためだ。
物事には常に予期せぬ壁がある。それを破ることから前進は始まる。