小説「新・人間革命」 灯台 31 5月26日

一九七二年(昭和四十七年)十一月の第三十五回本部総会で、山本伸一は、人類の生存の権利を守るための運動を青年に託したいと呼びかけた。
 それが起点となり、反戦出版や、「核兵器、戦争廃絶のための署名」など、創価学会の広範な平和運動が展開されていったのである。
 そして、この七四年(同四十九年)の第三十七回本部総会で、さらに伸一は、食糧問題への取り組みを青年に託したのだ。
 彼は、愛する後継の青年たちが、国家のエゴイズムを乗り越え、世界の平和と人類の繁栄を築き上げていく使命を自覚し、未来を切り開いていくことを、強く念願していたのである。
 伸一の提案を受け、翌月の八日に開催された第十六回学生部総会では、「二十一世紀食糧問題委員会」の設置が発表された。
 また、十五日の第二十三回青年部総会では、「生存の権利を守る青年会議」が発足し、そのなかに、「食糧問題調査会」が設けられた。
 人類の「食」を守るための運動の準備が、着々と整えられていったのである。
 七五年(同五十年)五月、同調査会は、「飢餓に悩むバングラデシュ」と題する講演会を開催。
 また、学生部の「二十一世紀食糧問題委員会」と共催して、食糧問題の講演会を重ねるなど、人びとの意識啓発を図り、市民の連帯を訴えていった。
 さらに、この七五年の九月二十一日を中心に、十五都府県で、「世界の飢えをなくそう」と呼びかけ、募金活動を実施した。
 真心の募金は、日本ユネスコ協会連盟に寄託され、アジアやアフリカ各国のユネスコ機関を経て、当事国に届けられた。
 また、日本ユネスコ協会連盟からは、人道的大義に立脚した活動に対し、「食糧問題調査会」に感謝状が贈られた。
 青年は、眼を世界に向けねばならない。地球は、人類の家であり、人間は皆、家族、同胞なのだ。ゆえに、この地球上の苦悩と悲惨を、わが苦として担い立つのだ。そこに、真の仏法者の生き方があるからだ。