小説「新・人間革命」 灯台 39 6月4日

埼玉県・吉川町(当時)の吉川団地は、一九七三年(昭和四十八年)から入居が始まった団地である。
約千八百世帯、六千人が、さまざまな地域から転居して来た。新しく建設された団地や新興住宅地の常として、なかなか住民の心の交流は図れなかった。
そのなかで、学会員は、いち早く連絡を取り合い、「この団地を、一日も早く、人情味にあふれた、人間性豊かな団地にしよう」と語らいを重ねた。
「皆さんのお役に立てるなら」と、積極的に、団地の自治会をはじめ、地域の役員を引き受ける人も少なくなかった。
ある壮年部員は、団地の老人会の中心となり、定期的に懇親会を開催した。
さらに、可能な限り高齢者世帯を訪ねては、声をかけ、健康状態などを確認して回った。
婦人部員のなかには、保健所や町役場と連携して、育児に追われる母親と、子どもの健康を守るボランティア活動に参加する人もいた。
また、団地のバス発着所の近くに信号機がないため、道路の横断が危険であるとの声を聞いた壮年は、発起人となって信号機の取り付けを推進した。
一人ひとりが損得にとらわれず、わが地域の繁栄を願い、奉仕の心で懸命に働いていった。
学会員には、信仰を通して培われてきた、社会貢献の哲学と信念がある。
日蓮大聖人は、「人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし」(御書一五九八㌻)と仰せである。
そこには、他者への献身が、自身のためにもなるという、共存共栄の思想がある。
また、「立正安国論」には「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祈らん者か」(同三一㌻)と述べられている。
「四表」は東西南北で、国、社会を意味し、「静謐」は世の中が穏やかに治まることをいう。
つまり、わが身の安穏を願うならば、地域、社会の安泰を実現しなければならないと言われているのだ。
学会員には、こうした考えに則った行動が、各人の生き方として確立されていたのだ。