小説「新・人間革命」 灯台 40 6月6日

団地部メンバーの貢献は、いずこの地にあっても、目を見張るものがあった。
〝まず、自分がよき住民となり、皆が誇りに思える団地をつくろう〟と、地域建設の推進力となり、住民の心と心を結んでいった。
メンバーは、団地のすべての人に、元気いっぱい、あいさつをするように心がけた。盆踊り大会や、餅つき大会などの催しには、率先して協力した。
しかし、誠意や献身が、そのまま、受け止めてもらえるとは限らない。
関西のある団地では、当初、意欲的に地域の役員として活躍する学会員を、冷ややかな目で見る人たちも少なくなかった。
「学会の人は、好きでやってるんやから、やらしたったらええんや」
そんな、突き放したような声も耳にした。
しかし、学会員は、人びとのために、骨身を惜しまず、喜々として働いた。もともと賞讃を得ようとして、やっているのではない。
信仰者としての良心から自発的に始めた、社
会貢献の活動である。微動だにしなかった。
「大いなる誠実な努力も ただ たゆまずしずかに続けられるうちに 年がくれ 年があけ いつの日か晴れやかに日の目を見る」(注)とゲーテは詠っている。
学会員が、一つ一つの事柄に対して、懸命に、誠実に取り組み、さまざまな貢献の実績を残すうちに、「学会の人は、よう頑張りはるなぁ」との、感嘆の声があがり始めた。
そして、次第に皆が協力してくれるようになっていった。役員の任期が終わりに近づくと、「次もぜひ、学会の方にお願いしたい」と、要望されるようになったのである。
地域交流の場の必要性を痛感し、自宅を提供して、手芸やアートフラワー、人形作りなどを学び合うサークルをつくり、交流を深めていった婦人もいた。
子どもの遊び場をつくろうと、奔走した人もいた。
「人間疎外」から「人間共和」へ――団地部員の運動は、各地に、人間の輪、友情のネットワークを広げていったのである。