小説「新・人間革命」 灯台 29 5月24日

山形訪問翌月の一九七四年(昭和四十九年)十月、山梨広布二十周年記念総会に出席した山本伸一は、講演のなかで、農業問題に言及した。
当時、西アフリカ諸国、バングラデシュ、インドなどでは、旱魃や洪水で、極度の飢饉を招来し、多くの人びとが餓死状態に追い込まれていた。
 彼は、食糧の大部分を海外に依存する日本の農業政策の在り方の転換を主張したのだ。
 さらに、この年の十一月十七日に、愛知県体育館で行われた本部総会では、食糧危機の問題について、提言を行っている。
 ちょうど、総会前日の十六日まで、イタリアのローマで、世界食糧会議が開催され、世界的な食糧危機打開への討議が行われていたのである。
 しかし、その語らいには、国家間の利害と思惑が絡み、食糧危機が国家の取引、政争の具に供されていた。
現実に飢餓線上にあって、今日死ぬか、明日まで生命がもつかといった人びとの苦しみよりも、それぞれの国家利益が優先されていることが、伸一は、残念でならなかった。
 〝人間の生命を守ることを、一切に最優先させるというのが人の道ではないか!〟
 そこで彼は、本部総会で、食糧問題に取り組む先進諸国の、基本的な姿勢を、まず確認していったのである。
 「『何を要求するかではなく、何を与えうるか』に、発想の根本をおくべきであるということであります。
各国が争って要求し、駆け引きをし、奪い合うのではなく、今すぐに各国が、まず『何ができるか』『何をもって貢献できるか』ということから、話を始めなければならない」
 次いで伸一は、経済大国・日本は、世界に対して「何をすべきか」を語った。
 彼が、第一にあげたのは、「農業技術の援助」であった。
 食糧問題の根本的な解決は、長期的に見るならば、発展途上国の自力による更生にかかっているからである。