小説「新・人間革命」 灯台 28 5月23日
仏法者として、人類の生存の権利を守り抜こうとする山本伸一にとって、「食」をもたらす農業は、最大の関心事であった。彼は会長就任以来、「豊作であるように。飢饉などないように」と、真剣に祈念し続けてきた。
十七歳で終戦を迎え、戦後の食糧難の時代を生きてきた彼は、食糧不足の悲惨さを、身をもって体験してきた。それだけに、飢餓状況に置かれた人びとの苦しみが、人一倍強く、心に迫ってくるのである。
食糧不足が世界的な問題として、盛んに報じられていた一九七三年(昭和四十八年)の三月、彼は、世田谷区の東京農業大学で、学生部員が開催した「現代農業展」を訪れ、食糧問題などについて、学生たちと語らいの機会をもった。未来を担う、若い世代の意見を聞いておきたかったのである。
出迎えてくれたのは、老母と、二人の息子であった。三十一歳の兄は、別の仕事に就いていたが、父親亡きあと、弟と力を合わせ、果樹園を守るために頑張っているという。
ちょうど収穫の時期であり、リンゴやブドウが、たわわに実っていた。伸一は、昼食を共にしながら懇談した。兄は語った。
「農村の後継者不足は、国の農業政策の失敗ですが、汗を流して労働することを避けようとする、若者の仕事観、労働観にも問題があると思います。
農業は大変な仕事です。しかし、確かな手応えと、やりがいがあります。多くの人に、大地と共に生きる喜びを知ってもらいたいですね」
彼の雄々しき笑顔に、伸一は希望を感じた。
ロシアの文豪ドストエフスキーは、「土地を耕すものこそ、すべてをリードする」(注2)と、日記に綴っている。