小説「新・人間革命」 勝ち鬨 四 2017年12月9日

五十八歳での十条潔の他界は、早いといえば、早い死であったかもしれない。
しかし、広宣流布に人生を捧げ抜き、自らの使命を果たし切って、この世の法戦の幕を閉じたといえよう。
海軍兵学校出身で、「同期の桜」をよく歌ったという十条らしく、桜花の散るような最期であった。
御聖訓には、「須臾の間に九界生死の夢の中に還り来って」(御書五七四ページ)と仰せである。
正法を受持した私たちは、死して後も、束の間にして、この世に生じ、広布のために活躍していくことを述べられた御文である。
十八日朝、十条家に弔問に訪れた伸一は、十条の妻である広子を励ました。
広宣流布の闘将として完結した、見事な生涯でした。日蓮大聖人が賞讃してくださり、また、恩師・戸田先生が腕を広げてお迎えくださることは間違いありません。
どうか、悲しみを乗り越え、ご主人の遺志を受け継ぎ、ご主人の分まで、広宣流布に生き抜いてください。
その姿こそが、最大の追善になります。また、子どもさんたちを、皆、立派な広布の人材に育て上げてください。
あとに残った家族が、幸せになっていくことこそが、故人に報いる道です」
この十八日午後、会長・十条潔の死去にともない、臨時の総務会が開かれた。
席上、第五代会長に、副会長の秋月英介が推挙され、参加者の全員一致で就任が決定したのである。
秋月は、五十一歳で、一九五一年(昭和二十六年)の入会である。
草創期の男子部建設に尽力し、男子部長、青年部長を務め、また、聖教新聞の編集に携わり、編集総局長、主幹として活躍した。
さらに、総務、副会長として学会の中枢を担ってきた。
伸一は、冷静、沈着な秋月ならば、大発展した創価学会の組織の中心軸として大いに力を発揮し、新しい時代に即応した、堅実な前進が期待できると思った。
また、自分は、皆を見守り、これまでにも増して、力の限り応援していこうと、強く心に誓った。