小説「新・人間革命」 勝ち鬨 十五 2017年12月23日

十二日、いよいよ山本伸一と四国青年部代表との懇談会当日である。
朝、作曲を担当する四国音楽隊の杉沼知弘が研修道場に来た。
彼は、これまでに四国の歌「我等の天地」、高等部歌「正義の走者」などの作曲を手がけてきた青年である。
杉沼は、歌詞を目にすると、新しいイメージを出すために、四行詞を六行詞にできないかと提案した。
歌詞をまとめたメンバーも、これだけの言葉では、自分たちの思いを表現し尽くすことはできないと感じていた。
書き換え作業に入った。思いのほか難航した。
それでも、午後には歌詞が出来上がり、夕方までには曲も完成した。
伸一は、この十二日の午後、研修道場で行われた、11・11「愛媛の日」を記念する幹部会に出席し、法華経に説かれた「随喜」について語った。
「『随喜』とは喜びです。
私たちの立場でいえば、南無妙法蓮華経という最高の法を聴いて湧き起こる喜びであり、大歓喜です。
大聖人は、随喜は即信心であり、信心は即随喜であると仰せになっている。
この法によって、あらゆる苦悩を克服し、一生成仏を成し遂げ、自身の最高の幸福境涯を確立していくことができる。
さらに、一切衆生を未来永劫にわたって、救済していくことができる
――それを確信するならば、妙法に巡り合えたことに、汲めども尽きぬ感謝の思いが、大歓喜が湧き起こるのを禁じ得ないはずです。
また、その歓喜と躍動の生命は、既に大幸福境涯といってよい。
そして、随喜すれば、人びとに妙法を語らずにはいられなくなり、おのずから折伏・弘教の実践が始まる。
それが、ますます大功徳を積んでいくことになる。
この随喜の広がりが広宣流布です。
また、弘教は、信心の随喜がもたらす、自然の振る舞いなんです。
随喜は、真剣な唱題と、自ら勇んで広宣流布を担おうとする主体的、能動的な実践のなかで、湧き起こるものであることを、深く心に刻んでいただきたい」