小説「新・人間革命」 勝ち鬨 九 2017年12月16日

山本伸一は、十一月八日、東京・新宿区の家族友好運動会に出席したあと、関西に向かった。
夜には関西文化会館での区・圏長会で激励し、さらに代表幹部と懇談を重ねた。
関西は、永遠不滅の常勝の源流であってもらいたい。いや、断じてそうであらねばならない──そう思うと、彼の心は燃えた。
四国の徳島講堂では、七日から、理事長の森川一正を中心に、講堂落成の記念行事が開催されていた。
徳島の同志は、伸一を迎える準備を整え、訪問を待っていた。
しかし、伸一には、要人との会見や諸行事出席の要請が数多く寄せられ、なかなか日程が決まらなかった。
徳島には学会本部から、「山本先生は、徳島行きを決意し、スケジュール調整をされていますが、最終的にどうなるかは未定です」との連絡が入っていた。
徳島県でも、同志は、卑劣な悪侶らの仕打ちに、何度となく悔し涙を流してきた。
学会の正義を叫んでの攻防戦が続いた。
皆を支えてきたのは、広宣流布への師弟の誓いであった。
それだけに、堂々と戦い抜いた姿をもって記念行事を迎え、なんとしても、伸一と共に新しい出発をしたかったのである。
しかし、八日も伸一の出席はなかった。
九日の午後となった。徳島講堂落成記念勤行会の開会となった。
伸一の姿はない。
森川理事長の導師で勤行が始まった。参加者は、先生の徳島訪問は「聖教新聞」にも発表されている。
いつ、先生は到着されるのだろうと思いながら、読経・唱題した。
勤行会の式次第は進み、森川理事長の指導となり、それも終わった。
ほどなく、会場後方の扉が開いた。
伸一の姿があった。
「とうとう来ましたよ! 約束を果たしにまいりました!」
大歓声が沸き起こった。
彼は参加者に声をかけながら、皆の中を会場前方へ進んだ。
師と弟子の心は一つになって燃え上がり、歴史を画する「四国闘争」が始まった。