小説「新・人間革命」 勝ち鬨 十二  2017年12月20日

徳島講堂を午後二時半に出発し、香川県庵治町にある四国研修道場へ車で向かった山本伸一は、一時間ほどしたころ、ドライバーに休憩してもらおうと、喫茶店に立ち寄った。
その時、徳島から同行していた四国青年部長の大和田興光が、「四国青年部の代表と、ぜひ懇談の機会をもっていただきたいのですが」と切り出した。
伸一は、即座に答えた。
「わかった。やりましょう」
体当たりでぶつかってくる青年の一途さを、誠実に受けとめたかったのである。
懇談は、十二日の夕刻と決まった。
伸一は、四国の青年たちの敢闘精神に強い期待を寄せていた。
この年の八月、大和田は長野研修道場にいた伸一を訪ね、四国から広布の新風を起こしたいとの思いをぶつけた。
「率直に申し上げます。先生が機関紙誌にほとんど登場できない状況が続く今こそ、師弟の精神が大事になっていると思います。
先生の著作や平和への行動を紹介する展示館を四国につくりたいと、皆で考えております」
口ごもりながらも、情熱のこもった訴えであった。伸一は、その心を大切にしたかった。
「君たちの気持ちはよくわかりました。どうすれば同志の希望になるのかを考え、四国長たちと、よく相談してみてください」
四国の青年たちは、世界の平和のために、伸一が行動してきた記録を調べ始めた。
中国を世界から孤立させてはならないと、一九六八年(昭和四十三年)に行った「日中国交正常化提言」をはじめ、東西冷戦下に訪中、訪ソを重ね、友好の橋を架けるとともに、中ソ紛争の危機を回避するために尽力してきたこと。
平和の道を探ろうと、キッシンジャー国務長官国連事務総長らと対談を続けてきたことなど、イデオロギーを超えて行動してきた事実が、鮮明に浮かび上がってきた。
わが師匠の平和への足跡を、胸を張って伝えていこう!──彼らは、それを平和行動展とし、四国研修道場で開催した。
十月三日に開幕したこの催しの入場者数は、十一月三日の閉幕までに六万一千人を超えた。