小説「新・人間革命」 暁鐘 八十 2017年12月5日

山本伸一は、平和と民衆の幸福への闘争を重ねつつ、詩を書き続けた。
多忙なスケジュールの合間を縫うようにして口述し、書き留めてもらった作品も数多くある。
その後、彼には、インドの国際詩人学会から「国際優秀詩人」賞(一九九一年)、世界詩歌協会から「世界桂冠詩人賞」(九五年)、「世界民衆詩人」の称号(二〇〇七年)、「世界平和詩人賞」(二〇一〇年)が贈られている。
伸一がアメリカでの一切の予定を終えて、成田の新東京国際空港(後の成田国際空港)に到着したのは、日本時間の七月八日午後四時過ぎであった。
空港には、会長の十条潔らの笑顔が待っていた。
今回の訪問は、六十一日間に及び、ソ連、欧州、北米と、八カ国を訪ね、ほぼ北半球を一周する平和旅となった。
各国の政府要人、識者らと、文化・平和交流のための対話を展開する一方、世界広布の前進を願い、各地でメンバーの激励に全精魂を注いだ。
第一回世界平和文化祭をはじめ、ヨーロッパ代表者会議、各国各地での信心懇談会や御書研鑽、総会、勤行会、交歓会など、いずれの行事でも、力の限り同志を励まし続けた。
また、今こそ、未来への永遠の指針を残そうと必死であった。片時たりとも無駄にするまいと、パリでは地下鉄の車中など、移動時間を使って詩を作り、フランスの青年たちに贈りもした。
間断なき激闘の日々であった。しかし、進むしかなかった。
二十一世紀を、必ずや「平和の世紀」「生命の世紀」にするために──。
彼は、新しい時代の夜明けを告げようと、「時」を待ち、「時」を創っていった。
一日一日、一瞬一瞬が真剣勝負であった。死闘なくしては、真実の建設も、栄光も
ない。
その奮闘によって、遂に凱歌の時代の暁鐘は、高らかに鳴り渡ったのだ。
今、
世界広宣流布の朝を開く新章節の旭日は、悠然と東天に昇り始めたのである。 (この章終わり)