小説「新・人間革命」 勝ち鬨 七 2017年12月14日

正信会の僧たちは、相次いで宗門から擯斥されていった。
彼らは、広宣流布を口にしながら、ひたすら広布を進めてきた学会を「謗法」と断じ、尊い仏子である学会員を苛め抜き、僧俗和合を破壊してきた。
そして結局は、滔々たる広宣流布の大河の流れから離れ、嫉妬と瞋恚の修羅の濁流に沈み去っていくのである。
宗門側は、最終的に百八十人を上回る正信会の僧を、擯斥処分していくことになる。
また、裁判所に、正信会住職に対する「建物明渡請求」を行うなど、法廷でも長期にわたる争いが続いていった。
この間、学会は、一貫して宗門を外護し、興隆のために最大に力を注いでいった。
擯斥処分され、追い詰められた正信会は、宗門攻撃を重ねるとともに、学会への誹謗中傷を執拗に続けた。
しかし、学会員には、日蓮大聖人の御遺命のままに、死身弘法の誠を尽くして、現実に広宣流布を推進してきたのは創価学会の師弟しかない。
御聖訓に照らして正邪は明白であるとの、強い不動の確信が育っていた。
そして、山本伸一が自ら矢面に立つことも辞さず、会員を守るために反転攻勢を開始し、国内を、世界を駆け回る姿に、共に立とうとの決意を新たにしていったのである。
いかに深き闇に覆われ、嵐が吹き荒れようとも、師子が敢然と立ち上がる時、暁鐘は鳴り渡り、金色の夜明けが訪れる。
鉄鎖を断ち切り、師弟が心を一つにして、一歩を踏み出す時、既に勝利の幕は開かれているのだ。
伸一は、さらに、宗門事件で苦しめられてきた地域を回り、わが創価の同志の奮闘を讃え、ねぎらい、ともどもに凱歌の旅立ちをしようと、深く心に誓っていた。
伸一が真っ先に駆けつけたかったのは、四国であった。
彼が会合にも自由に出席できない状況に追い込まれていた時、「それならば、私たちの方から馳せ参じよう!」と、大型客船「さんふらわあ7」号でやって来た、健気なる同志の心意気に応えたかったのである。