◇ 「生命尊厳の絆 輝く世紀を」(下) 2012-1-28
「原水爆禁止宣言」発表から55周年
核兵器禁止条約の締結を
軍事的必要性の論理を打ち破る
次に最後の柱として、核兵器の禁止と廃絶に向けての提案を行いたい。
今年で発表55周年を迎える戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」は、まさしくそうした核開発競争が激化した当時の時代情勢を踏まえて打ち出された宣言だったのです。
戸田会長はその中で、「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」(『戸田城聖全集第4巻』)と述べ、核実験の禁止はもとより、多くの民衆の犠牲の上で成り立つ安全保障から完全に脱却しない限り、問題の本質的な解決はありえないと訴えました。
以前から戸田会長は、どの国もどの民族も戦争の犠牲となることがあってはならないと「地球民族主義」を提唱し、民衆の連帯で戦争の根絶を目指すことを呼びかけていました。
そして逝去の前年(57年9月)に、その前途に立ちはだかる“一凶”として核兵器に焦点を定め、「原水爆禁止宣言」を通じて、核兵器の禁止と廃絶を目指す運動を若い世代が受け継ぎ、行動の先頭に立つことを念願したのです。
つまり、そこには「軍事的必要性」の一点で全てを正当化しようとする思考がある。その究極の現れが、核兵器といってよい。
仏法では、戦争などを引き起こす貪・瞋・癡の煩悩の根にあるものを「元品の無明」といい、他者への蔑視や憎悪、生命への軽視もそこから生じると洞察します。この生命軽視の根本的な衝動を打破することなくして、たとえ核兵器が使用されなくても、民衆の犠牲を厭わぬ悲惨な戦争が繰り返される土壌がいつまでも残るに違いありません。
つまり、国際人道法に一般的に違反するとしながらも、「国家の存立そのものが危険にさらされている自衛の極端な状況」においては違法にあたるかどうか確定的な決定を下すことができない、との見解が示されていたのです。
政策転換を求めるさまざまな動き
「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結果をもたらすことに深い懸念を表明し、すべての加盟国がいかなる時も、国際人道法を含め、適用可能な国際法を遵守する必要性を再確認する」(梅林宏道監修『イアブック「核軍縮・平和2011」』ピースデポ)として、“どの国”でも、“どのような場合”でも、国際法を遵守しなければならないとの合意がなされたのです。
私は3年前に発表した核廃絶提言で、2015年までに達成すべき目標の一つとして、核兵器の非合法化を求める世界の民衆の意思を結集し、「核兵器禁止条約(NWC)」の基礎となる国際規範を確立することを呼びかけました。
NPT再検討会議での合意はその突破口となるもので、明確な条約の形へと昇華させる挑戦を今こそ開始しなければなりません。
一般に、新しい国際規範は、次の3段階を経て確立するといわれます。
①既存の規範の限界が浮き彫りになり、新しい規範の必要性が主張される。
②その受容をはたらきかける中で同調の動きがみられ、勢いが加速するとカスケード現象(賛同国の雪崩的な拡大)が起こる。
③国際社会で広範に受容され、条約などの形で正式に制度化される。
この図式に照らせば、現在の段階は②の前半にあたり、カスケード現象が起こる手前に位置しているといえましょう。
私がなぜ、そう捉えるのか。それは、次のような世界の動きに基づきます。
一、96年以降、マレーシアなどを中心にNWCの交渉開始を求める決議が国連総会に毎年提出される中、昨年には、中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イランを含む130カ国が賛成するまで支持が広がっていること。
一、159カ国が加盟する「列国議会同盟」が、潘事務総長の提案に、ロシア、イギリス、フランス、中国を含む全会一致で支持を表明し、5100以上の都市が加盟する「平和市長会議」がNWCの交渉開始を求めているほか、各国の首相・大統領経験者による「インターアクション・カウンシル(OBサミット)」もNWCの締結を呼びかけたこと。
一、2009年の国連安全保障理事会の首脳会合で「核兵器のない世界」に向けた条件を構築することを誓約する1887号決議が採択されたこと。そして、昨今の経済危機に伴う財政悪化で核保有国の間でも軍事支出の見直しが叫ばれ、核兵器に関する予算にも、その議論が及ぶようになってきていること。
青年の情熱と信念を柱にグローバルな意思を結集
生命に対する権利への重大な侵害
以上、それぞれの動きは単独で局面を打開するほどの力には達しないかもしれませんが、「核兵器のない世界」を求める声は、一歩また一歩と、押し戻せないところまで着実に前進してきたのであります。
これまで市民社会の主導で条約のモデル案がつくられ、交渉を求める活動や署名がさまざまな形で行われてきたように、まさにNWCの規範の源泉となる精神は、民衆の中で脈打ってきたものに他なりません。
ゆえに、「核兵器による悲劇は二度と繰り返されてはならない」「人類と核兵器は共存できない」といった、すでに民衆の間に存在し息づいている規範意識をベースに、条約という形をもって具体的な輪郭を帯びさせ、人類の共通規範として明確に打ち立てる作業こそが、今まさに求められているのです。
大切なのは、NWCの実現に向けてカスケード現象を巻き起こすための、あともう一押しの力を結集していくことです。
私はそのために、従来の国際人道法の精神に加えて、「人権」と「持続可能性」を、グローバルな民衆の意思を結集するための旗印に掲げ、青年たちを先頭に「核兵器のない世界」を求める声を力強く糾合することを呼びかけたい。
なぜなら、「人権」と「持続可能性」の観点に立てば、核兵器使用の事態が生じるか否かにかかわらず、核兵器が存在し続け、核兵器に基づく安全保障政策が維持されることで、同じ地球で暮らす多くの人々や将来世代にもたらされる被害と負荷の問題が浮き彫りになり、関心を高めることができるからです。
世界における人権保障の柱となっている条約の一つに「市民的及び政治的権利に関する国際規約」があります。1984年に、その実施を監視する規約人権委員会で、次のような一般的意見が表明されたことがありました。
「その存在自体と脅威の重大さにより、国家間に猜疑心と恐怖の雰囲気が醸成されるのであり、このこと自体が、国連憲章および国際人権規約に基づく人権と基本的自由に対する普遍的な尊重と遵守の促進に対して敵対するものなのである」(浦田賢治編著『核不拡散から核廃絶へ』憲法学舎/日本評論社)
つまり、核兵器が存在する限り、相手を強大な軍事力で威嚇しようとする衝動が生き続け、それが多くの国々に不安や恐怖をもたらすということです。
事実、その威嚇の悪循環が、どれだけの核兵器の拡散を招き、どれだけの軍備拡張をもたらし、世界をどれだけ不安定にさせてきたか計り知れません。
脅威が不安を呼び、その不安が軍拡を招き、脅威がさらに増す──まさに負のスパイラル(連鎖)しか生まない核兵器や軍備拡張のために使われてきた膨大な予算や資源が、人々の生存・生活・尊厳を守るために使われるようになれば、どれほど世界で貧困の克服や教育の拡充が進んだかわからないのです。
戦争と核兵器の廃絶を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」の起草者である哲学者のラッセルが、「私たちの世界は異様な安全保障の概念と歪んだモラルを生み出してしまった。兵器を財宝のように保護する一方で、子どもたちを戦火の危険にさらしている」と指弾した転倒が、いまだ世界で横行しています。
加えて赤十字国際委員会のヤコブ・ケレンベルガー総裁が「破壊力、それがもたらす筆舌に尽くしがたい被害、その効果が時間的、空間的に制御不可能であり拡大してゆくこと、環境、将来の世代、そして人類の生存そのものへの脅威となること。それが核兵器の特質」(前掲『イアブック「核軍縮・平和2011」』)と述べ、非人道性と並んで持続可能性の面からも警告し、国際赤十字・赤新月運動の昨年の代表者会議でも核兵器の廃絶を求める決議を行ったことを、核保有国は真剣に受け止めるべきでしょう。
世界には今なお2万発以上もの核兵器が存在していますが、地球上の全ての人々とその子孫に危害を及ぼし、地球上の生態系を破壊してなお何十倍、何百倍も余りある兵器を保有し続けてまで守ろうとするものは一体何なのか──。仮に自国民の一部が生き残ったとして、そこに“未来”という文字がないことは明らかではないでしょうか。