第37回「SGIの日」記念提言   ㊤2 2012-1-26 /28

生きがいの喪失
 さらに災害は、多くの人々の仕事や生きがいを奪い、尊厳ある生の土台を突き崩します。
 私は現在、シドニー平和財団のスチュアート・リース理事長と「正義に基づく平和」をテーマに連載対談を行っています。その中で、人間の尊厳を損なう脅威という面から見過ごすことのできないものとして、失業の問題が焦点となりました(「平和の哲学と詩心を語る」、「第三文明」2012年2月号)。
 リース理事長は、失業は単なる経済的な問題にとどまらず、人々の目的観や自己実現の機会を奪い去るものであるとし、その理由を自著の言葉を通じて、こう強調していました。
 「労働から生じるそれ自体価値のある深遠な人間的感覚、すなわち何かを達成する満足を感じながら、もしくは社会に貢献しながら自身の生計を立てるという人間的感覚を否定」されることになる、と(川原紀美雄監訳『超市場化の時代』法律文化社)。
 2年前に逝去した世界的な免疫学者の多田富雄氏は、67歳の時に突然の病気に襲われ、やりかけていた多くの仕事を断念しなければならなくなりました。
 その時の衝撃を、後に氏はこう述べています。
 「あの日を境にしてすべてが変わってしまった。私の人生も、生きる目的も、喜びも、悲しみも、みんなその前とは違ってしまった」「考えているうちにたまらない喪失感に襲われた。それは耐えられぬほど私の身をかんだ。もうすべてを諦めなければならない」(『寡黙なる巨人』集英社
 人間にとって仕事とは本来、自分が社会から必要とされている証しであり、たとえ目立たなくても自分にしかできない役割を、日々、堅実に果たすことで得られる誇りや生きる充実感の源泉となるものです。
 まして、災害によって家や財産の多くを失い、過酷な避難生活を強いられた上に、仕事を失うことは、生活を再建するための経済的な命綱が断たれるのと同時に、前に進む力の源泉となる生きがいを失わせ、復興への精神的な足がかりまで突き崩される事態につながりかねません。
 だからこそ、被災した方々が少しでも生きる希望を取り戻せるよう、住む場所や仕事の変更を余儀なくされた人たちが心の落ち着く場所を新たに得られるよう、そして「心の復興」「人生の復興」を成し遂げることができるよう、支え続けていくことが、同じ社会に生きる私たちに求められているのです。
 
トインビー博士の透徹した歴史眼
 実のところ、こうした悲劇は災害に限らず、さまざまな地球的問題群によって多くの人々の身に押し寄せるものに他なりません。
 では、悲劇の拡大を食い止め、地球上から悲惨の二字をなくすためには、いかなるビジョンが求められ、いかなるアプローチが必要となってくるのか──。
 「手の届くところにあって、未来を照らしてくれる唯一の光は、過去の経験である」との言葉を残したのは、20世紀を代表する歴史家アーノルド・J・トインビー博士でした。
 博士の招聘を受けてロンドンのご自宅を訪問し、人類の未来を展望する対話を行ってから今年で40年になりますが、対話や著作を通じて博士がよく強調されていたのが「歴史の教訓」という言葉でした。
 博士が、その歴史観の基底部に流れる「すべての文明の哲学的同時性」(深瀬基寛訳『試練に立つ文明』社会思想社)について考察するようになったきっかけは、第1次世界大戦の勃発直後、紀元前5世紀のペロポネソス戦争=注2=について当時の歴史家ツキディデスが記した本を、学生に講釈している時に突然脳裏によぎった感覚に根ざすものだったといいます。
 博士は述懐しています。
 「わたくしたちの経験していることが古代ギリシアの内乱のはじめのころのツキュディデスの歴史そっくりだということに、急に気がついた。彼の時代と現代とが二千三百年もへだたっていることはすこしもさしつかえないのだ。彼の歴史はわたくしたちの目の前にくりかえされようとしているのだった」(?山政道責任編集『世界の名著73 トインビー』中央公論社
 透徹した歴史眼をもって何千年もの歴史から教訓を汲み取り、現代世界への警告を怠らなかった博士が、私との対談集で、「人類の生存を脅かしている現代の諸悪に対して、われわれは敗北主義的あるいは受動的であってはならず、また超然と無関心を決めこんでいてもなりません」(『二十一世紀への対話』、『池田大作全集第3巻』所収)と語られた言葉が忘れられません。
 
立正安国論」の根底に脈打つ民衆の幸福を第一とする思想
 
悲嘆に暮れる民衆を救うために執筆
 トインビー博士がそうであったように、私が今、世界で相次ぐ災害を前にして浮かんでくるのは、13世紀の日本で日蓮大聖人が著した「立正安国論」です。
 冒頭に「近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上に迸る」(御書17㌻)とあるように、当時は災害が毎年のように続き、大勢の民衆が命を落とした悲惨きわまりない時代でした。そうした中、悲嘆に暮れる民衆を何としても救わねばならないと、鎌倉幕府の事実上の最高権力者だった北条時頼に提出されたのが「立正安国論」だったのです。
 そこで私は、現代の時代相と、人間の安全保障の理念に照らし合わせて、「立正安国論」から浮かび上がってくる視座を、以下3点にわたって提示したい。
 第1の視座は、国家が最優先で守るべきものは、民衆の幸福と安全であるとの思想哲学です。
 「立正安国論」は、日蓮大聖人の仏法の根幹を成し、生涯を通じて何度も自ら書写されたほど最重視されていたものですが、現存する書写をみると、特徴的な漢字の用い方がされていたことがわかります。
 そこでは、国家を言い表す言葉として通常使われる「国」(王の領地を意味する字)や「國」(武力によって治めた場所を意味する字)に代えて、「?(囗の中に民)」という字が多用されており、割合にして8割近くを占めています。
 つまり、国家の中心概念に据えるべきは権力者でもなく軍事力でもない。あくまで、そこに暮らす民衆であるとの思想を明らかにされたものと拝されます。
 大聖人は別の御書でも、権力者に対して「万民の手足為り」(御書171㌻)と記し、権力を預かる者は民衆に奉仕し、その生活と幸福を守るためにこそ存在すると強調しています。
 その哲学を凝結したともいえる「?」(囗の中に民)の字を用いた書を通じて、仏法思想の上から社会を覆う混迷の闇を打ち払う道を示し、封建時代の指導者を諫めることは、まさに命懸けの行為でした。その結果、「世間の失《とが》一分もなし」(同958㌻)にもかかわらず、大聖人は何度も命を狙われ、2度も流罪に遭われました。
 しかし750年余りの時を経て、大聖人が提起した視座は、今日叫ばれる人間の安全保障の基本理念にも通じる輝きをますます放っているように思われます。
 「人間の安全保障委員会」の報告書でも、次の留意が促されていました。
 「国家はいまでも人々に安全を提供する主要な立場にある。しかし今日、国家は往々にしてその責任を果たせないばかりか、自国民の安全を脅かす根源となっている場合さえある。だからこそ国家の安全から人々の安全、すなわち『人間の安全保障』に視点を移す必要がある」(前掲『安全保障の今日的課題』)と。
 その意味において、いくら経済成長を推し進め、軍備を増強しても、人々の苦しみを取り除く努力を払わず、尊厳ある生を支える役目を果たしていないならば、国家の存在理由は一体どこにあるのでしょうか。
 災害は、社会が抱える問題を断層のように浮き上がらせる側面があります。
 高齢者をはじめ、女性や子ども、障がいのある人々、経済格差に苦しむ人々といった、社会で厳しい状況に置かれてきた人に被害が集中する傾向が、東日本大震災でも見られました。
 そうした方々の苦しみや心中を思えば、政治の対応はあまりにも遅すぎると言わざるを得ません。