第37回「SGIの日」記念提言  ㊤3 2012-1-26 /28

「同苦の心」「連帯の心」こそ人間の安全保障の精神的基盤
 
世界市民の自覚と持続可能性の視点
 次に、第2の視座として提起したいのは、「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か」(御書31㌻)とあるように、自分だけの幸福や安全もなければ、他人だけの不幸や危険もないとの生命感覚に基づいた世界観の確立を訴えていることです。
 地球温暖化の問題に象徴されるように、相互依存の深まる世界にあって、特定の地域に深刻な脅威を及ぼしている現象であっても、やがてグローバルな脅威として猛威を振るう危険性は大いにあります。
 また、現在直面している脅威の影響が比較的小さいからといって、手をこまねいたままでいると、これから生まれてくる世代にとって、取り返しのつかない事態を招きかねません。
 こうした脅威の空間的・時間的な連関性については、国連の潘基文《パンギムン》事務総長の報告書でも、「個人と共同体に対する、特異な一連の脅威が、広範な国内と国家間の安全保障の破壊へと移ることを理解することによって、人間の安全保障は将来の脅威の発生を予防し緩和しよう」とする、と記されています(国連広報センターのホームページ)。
 ここに、「立正安国論」で示された、「四表の静謐」(社会全体の安穏)が訪れない限り、「一身の安堵」(個々人の安心)は本当の意味で得られないとの視座が重要となってくる所以がある。
 仏法の縁起思想に立脚したこの視座は、私が度々触れてきた哲学者オルテガ・イ・ガセットの「私は、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない」とのテーゼ(命題)と、同じ志向性を持つものです。
 そのオルテガがテーゼを示した後に記したのは、「現象を救え」「われわれの周囲にあるものの意味をさぐれ」との言葉でした(A・マタイス/佐々木孝共訳『ドン・キホーテに関する思索』現代思潮社)。
 世界各地で災害が起こった時、多くの国から真心の支援や励ましの声が寄せられますが、こうした「同苦の心」「連帯の心」が、どれだけ被災者の心を明るくし、勇気づけるか計り知れません。
 「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書758㌻)と叫ばれた大聖人が、「立正安国論」を通して打ち出されたのも、現実社会で苦しみに直面している人々の心に共振して、わが身を震わせつつ、人々の苦しみが取り除かれることを願い、行動しようとする人間の生き方でした。
 そして、立正安国の「国」や、「四表」の意味するところも、大聖人の御書に「一閻浮提」や「尽未来際」といった言葉が何度も記されているように、広く世界を包含するものであると同時に、はるか未来をも志向していたものだったのです。
 その二つのベクトル(方向性)を今様に表現するならば、「世界のどの地で起こる悲劇も決して看過しない生き方」であり、「将来世代に負の遺産を断じて引き継がせない生き方」だといえましょう。前者には「世界市民としての自覚」、後者には「持続可能性に基づく責任感」に通じる精神が脈打っています。
 同じ地球に生き、環境を子どもたちに引き継いでいかねばならない私たちは、この横と縦に広がる二つの生命の連鎖を意識し、行動する必要があります。
 
時代の閉塞感を破る力は魂を揺さぶる対話の中に
 
憂いの共有から誓いの共有へ
 続いて述べたい第3の視座は、対話を通じて「憂いの共有」から「誓いの共有」への昇華を果たす中で広がる「エンパワーメント(内発的な力の開花)の連鎖」が、事態打開の鍵となるとの洞察です。
 仏教経典の多くが対話や問答によって成立しているように、「立正安国論」も、権力者と仏法者という立場の異なる両者が対話を通じて議論を深めていく形となっています。
 最初は、杖を携えて旅をする客人(権力者)が主人(仏法者)のもとを訪れ、天変地異が相次ぐ世相を嘆く場面から始まります。
 しかし二人は、災難をただ嘆き悲しんでいるのではない。災難が繰り返される状況を何としても食い止めたいとの「憂い」を共有しており、そこに立場の違いを超えての対話の糸口が生まれます。
 そして始まった対話では、両者が互いの信念に基づいた主張を真剣に交わしていく。その中で、客人が示す怒りや戸惑いに対して、主人がその疑念を一つずつ解きほぐしながら議論を深めるという、魂と魂とのぶつかり合いが織り成す生命のドラマを経て、最後は心からの納得を得た客人が、「唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ」(同33㌻)と決意を披歴する形で、主人と「誓いの共有」を果たす場面で終わっています。
 では、対話を通じて両者が見いだした結論は何か。それは、仏典の精髄である「法華経」で説かれた全ての人間に等しく備わる無限の可能性を信じ抜くことの大切さでした。
 つまり、人間は誰しも無限の可能性を内在しており、かけがえのない尊厳を自ら輝かすことのできる力が備わっている。その尊厳の光が苦悩に沈む人々の心に希望をともし、立ち上がった人がまた他の人に希望をともすといったように、蘇生から蘇生への展転が広がっていく中で、やがて社会を覆う混迷の闇を打ち払う力となっていく──との確信であります。
 こうした思想に響き合う内容が、「人間の安全保障委員会」による報告書でも提起されています。
 人間の安全保障は「人間に本来備わっている強さと希望」に拠って立つものであり、「自らのために、また自分以外の人間のために行動を起こす能力は、『人間の安全保障』実現の鍵となる重要な要素である」。ゆえに人間の安全保障を推進しようとするならば、「困難に直面する人々に対し外側から何ができるかということよりも、その人々自身の取り組みと潜在能力をいかに活かしていけるかということに、重点が置かれてしかるべきである」と(前掲『安全保障の今日的課題』)。
 「立正安国論」が執筆された時代は、「当世は世みだれて民の力よわ(弱)し」(御書1595㌻)とあるように、相次ぐ災難を前に、多くの民衆が生きる気力をなくしかけていた。その上、現実の課題に挑むことを避けたり、自己の内面の静謐だけを保つことを促すような思想や風潮が社会に蔓延していました。
 そこで大聖人は、諦観や逃避が救いにつながるかのように説く思想は、無限の可能性を秘めた人々の生命を曇らせる一凶であり、一人一人が互いの可能性を信じ、力を湧き立たせる中で、時代の閉塞感を打破していく以外にないと主張されたのであります。
 
生きている限り絶対あきらめない
 この点に関して思い起こすのは、どんなに絶望の闇が深くても「自分が小さなろうそくの灯になることを恐れてはいけない」と呼びかけた思想家のイバン・イリイチ氏の言葉です。氏は『生きる意味』の中でこの信念に触れた箇所で、軍政下のブラジルで非人道的な行為と戦った友人のエルデル・カマラ氏の言葉をこう紹介しています。
 「けっしてあきらめてはいけない。人が生きているかぎり、灰の下のどこかにわずかな残り火が隠れている。それゆえ、われわれのすべきことは、ただ」「息を吹きかけなければいけない……慎重に、非常に慎重に……息を吹きかけ続けていく……そして、火がつくかどうか確かめるんだ。もはや火はつかないのではないかなんて気にしてはいけない。なすべきことはただ息を吹きかけることなんだ」(高島和哉訳、藤原書店
 これは、後にブラジルで最も無慈悲な拷問者となる将軍との対話を試みたカマラ氏が、将軍との話を終えて、イリイチ氏の前で完全な沈黙にしばし陥った後、語った言葉でした。
 つまり、自己の信念と敵対する人物との対話が破談した後、それでもなお、私はあきらめない!と気力を奮い起こした言葉ですが、一方で私には、絶望の淵に沈みそうになっている人々に心を尽くして励まし続けることの大切さを示唆した言葉でもあるかのように胸に響いてきます。
 敵対者に対してであれ、仲間に対してであれ、一人一人の魂に眠る残り火に息を吹きかけていくエンパワーメントは、ガンジーやキング博士による人権闘争をはじめ、冷戦を終結に導いた民衆による東欧革命や、最近のアラブの春と呼ばれる民主化運動においても、大きなうねりを巻き起こす原動力になったものではないでしょうか。
 私どもが、冷戦時代から中国やソ連などの社会主義国を訪問し、緊張緩和と相互理解のための交流に努め、さまざまな文明や宗教的背景を持つ世界の人々と対話を重ねて、国境を超えた友情の輪を広げてきたのも、「平和と共生の地球社会」を築く基盤はあくまで一人一人の心の変革にあり、それは互いの魂を触発し合う一対一の対話からしか生まれないとの信念からだったのです。
 以上、「立正安国論」を貫く思想を通し、災害に象徴される「突然襲いくる困窮の危険」に立ち向かう上で重要になると思われる三つの視座を提起しました。
 このうち、最後の視座の柱となるエンパワーメントは、災害からの再建を目指す上で最も難しく時間を要する課題といわれる「心の復興」に関わるものです。
 先ほど私は、人間の安全保障は「人間に本来備わっている強さと希望」に拠って立つとの理念に言及しましたが、その挑戦は容易に一人で踏み出せるものではなく、たとえ踏み出せても、自らの人生を希望の光で照らすまでには、それ以上の困難が伴います。
 だからこそ、険しい峰を登り続けるためのザイル(綱)となる「心の絆」と、ハーケン(岩釘)となる「励ましの楔」が必要となってくる。
 冒頭で触れた思想家のエマソンも、愛息を病気で亡くす前に、妻や弟たちを相次いで失う悲哀に見舞われましたが、歳月を重ねる中で「導き手、あるいは守り神の相貌を帯びてくる」(酒本雅之訳『エマソン論文集 上』岩波書店)との思いを綴り、自身のその後の生き方に良い変化をもたらす力になったとも述べています。
 故郷を失うつらさに通じる言葉として挙げた作家のサン=テグジュペリも、その後の文章で、「人間に恐ろしいのは未知の事柄だけだ。だが未知も、それに向って挑みかかる者にとってはすでに未知ではない」「救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰返すことだ……」(前掲『世界文学全集77』)との気迫こもる言葉を記しています。
 また、突然の病気で仕事を続けられなくなった免疫学者の多田富雄氏も、ダンテの『神曲』にならうかのように、「今いる状態が地獄ならば、私の地獄篇を書こう」と述べ、「これからどうなるかわからないが、私が生きた証拠の一部になる」(前掲『寡黙なる巨人』)と執筆を再開し、生きがいを取り戻しました。
 そうした悲劇からの蘇生のドラマの一つ一つには、必ず、心の支えとなった人たちの存在があったに違いありません。
 1906年のサンフランシスコ大地震直後の人々の姿を調査した、哲学者のウィリアム・ジェイムズも、「体験を分かち合った場合には苦難や喪失は何か違ったものになる」との結論を導いています(レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』高月園子訳、亜紀書房)。
 この分かち合いこそが、「前に進もうとする気力」をすぐさま奮い起こすことができなくても、苦悩に沈む人々が「頭を上げよう」とする気持ちを抱くようになる契機となっていくのではないでしょうか。
 そのためには一方的に話をするのではなく、何よりもまず、じっと心の声に耳を傾けることが欠かせません。その中で相手の苦しみに心を震わせ、少しでも分かち合いたいとの思いから生まれる励ましであってこそ、相手の心の奧に沈む残り火に息を吹きかけることができるに違いない。