小説「新・人間革命」人材城 41 2012年5月28日

腹をすかせ、弁当も持たずに登校してくる子どものために、牧口常三郎は豆餅などを用意し、自由に食べられるようにした。当初、その費用は、すべて牧口が出していた。
やがて、給食の協力をしてくれる篤志家も現れた。「読売新聞」の一九二一年(大正十年)十二月八日付に、こんな見出しが躍っている。
 
 「小学校で貧しい児童に  無料で昼食給与  本所の三笠小学校の試み  夜学児童にも給与の計画 =パンと汁を二椀」
 
記事には、「本所三笠小学校では最近同校生徒中の気の毒な境遇にあるもの約百名ばかりを選んで昼食を給与することに決定し、経費と設備の都合上当分三十五匁(約一三〇㌘=編集部注)の〓麭一個と豆腐や野菜を材料にした汁二杯とを無料で給与し」とある。
さらに、工場から自宅に帰らないで、直接、学校に来る夜学の生徒にも、食事の給与を検討中であることが報じられている。
校長である牧口の談話もある。
「顔の色が蒼白でいかにも繊弱らしく見える」生徒は、「いずれも絶食の結果で、しかもたまたま昼食を食べても碌な物を食わぬから全く栄養不良に陥っているのさえある」と述べている。
また、牧口は、工場から自宅に帰れずに学校へ来る夜学生への、食事の給与も考えていると語ったうえで、「満腹する程与えてないのに『お前は学校で食べて来たろう』と言って宅で食を与えぬようなことが起りはせぬかとそれを心配してる」とも語っている。
彼は、どこまでも子どもの置かれた現実に立って物事を考え、悩み、そして不屈の闘魂をたぎらせて改善を進めていった。
哲人エマソンは、貧しい一女性の言葉に強く感銘し、その言葉を書き残している。
――「困難が増せば増すほど獅子のような勇猛心をふるいおこす――これが私の主義です」
それは、まさに牧口の信念でもあった。