2010-03-21から1日間の記事一覧
御聖訓 天晴れぬれば地明らかなり 仏法は最高の人間学 諸君は時代を照らす希望の太陽 熊沢女子部長 今、各地の友と語り合う中で、「仕事が忙しくて、なかなか思うように学会活動の時間がとれない」という悩みを多く聞きます。 池田名誉会長 多忙な中で、少し…
どん底から立って 一切を変毒為薬 棚野 今、経済不況の中、仕事の悩みも千差万別です。倒産やリストラと戦う友もいます。人員削減のため、一人で抱える仕事量が急激に増えたメンバーもいます。夜勤が続いたり、なかなか休みがとれなかったりなど、状況はさま…
日蓮仏法の実践の舞台は現実社会 「今」「ここで」勝利者と光れ どんな立場であれ、誠心誠意に徹した青年が、信用という最高の財産を築くことができるのです 熊沢女子部長 第1回の「師弟誓願の祈り」には、全国の青年部員から多くの感動と感謝の声が寄せられ…
御聖訓 願わくは我が弟子等 大願を起こせ 広宣流布へ 師弟の誓願に生き抜け 万人の「仏の生命」開く大闘争を! 隣のドミニカ共和国の尊き同志も救援に尽力してくれ、復興を目指して第1回の座談会が力強く行われます。 私たちは、誓願の祈りで、深く強く結ば…
世界一の大哲学を胸に進め! 御書は希望 勇気 智慧の泉 池田名誉会長 時代は、大きく動いている。激動の時こそ、青年の出番だ。 青年には勇気がある。青年には活力がある。青年にはビジョンがある。 いよいよ青年が、壮大な「世界広宣流布」の一切を担い立つ…
築け!広宣流布の人材の城を 山梨に 功徳の太陽 昇りゆけ 春爛漫の 心踊りで 池田名誉会長はかつて、山梨の友に贈った。 「春爛漫」が、もうすぐ甲斐の里にやってくる。 陽光が富士の白雪を照らし、桃の絨毯が里を彩る。その名もゆかしい笛吹川は、雪解けの…
永遠平和の象徴の天地たれ 突然、大粒の雨がフィールドをたたき始めた。雨脚は次第に強くなる。 昭和58年(1983年)3月21日、3万人の沖縄平和文化祭。 演技する友の顔が激しい雨で霞む。衣装はぬれ、袖口から水滴が落ちる。地面には無数の水たまり。動くた…
「学園生は私の宝! 私の命!」 最寄りの駅から、一本の道が山裾に沿って、なだらかに続く。緑がまぶしい。野鳥はさえずり、花々が躍り咲く。万葉の詩情が薫る大阪・交野。自然の名画が広がっていた。 関西創価学園へと続くこの道を多くの生徒が通い、逸材が…
励まそう 一人でも多く! 宮崎研修道場に着いた池田名誉会長が、そのまま庭の方へ歩き始めた。 平成11年(1999年)2月26日午後。沖縄から空路、宮崎に飛び、車で20分ほど走った、その足である。 庭では、「守る会」をはじめ3人の友が、手を真っ黒にしな…
創価ルネッサンスの太陽は昇った 「会う友は、一人残らず励まし、思い出をつくってさしあげたい」ー昭和49年(1974年崖)2月15日、池田名誉会長は学会本部から千葉へ向かった。 午後8時半、外房線の大原駅着。列車を降りるや、真っ先に駅構内にいた1…
ここから新しい立川を作ろう 立川の、そして第2総東京の同志が“立文”の愛称で慕う「立川文化会館」。 地上5階建て。目を見張る威容。大型会館の先駆けとして誕生した同会館は、立川の友にとって、大きな誇りであり希望であった。全国の同志の憧れだった。 …
法学部の卒業証書の授与で、「今井翔子」という名前が呼ばれると、ひときわ大きな祝福の拍手が響いた。今井は、長崎から来た三十代半ばの主婦で、耳が不自由であった。 彼女は、学友に背を押されると、さっそうと前に進み出た。 ――それは、中学一年の時であ…
一九八〇年(昭和五十五年)二月十日、全国二十五会場で、各科目の試験が行われた。卒業をかけて挑戦する第一期生も多かった。 三月九日には、創価大学で卒業面接試験が実施された。そして、経済学部九十九人、法学部百三十人、合計二百二十九人の卒業が決…
全国通教生大会に集った人たちには、青年もいれば、壮年や婦人もいた。なかには、七十歳を超えていると思われる白髪の老婦人の姿もあった。まさに老若男女が集っていた。 また、職業も、出身地も、千差万別である。 しかし、それぞれが置かれた状況のなかで…
第一回「全国通教生大会」の終了後、通教生と、松風合宿所前の階段で、記念のカメラに納まった山本伸一は、皆に訴えた。 「仕事、勉強と、皆さんは、日々、大変かもしれない。しかし、置かれた状況が厳しければ厳しいほど、人間修行の環境が整っているという…
社会保険労務士の試験は、決して容易ではなかった。藤野悦代は、一度目の試験には失敗した。しかし、翌一九七一年(昭和四十六年)、二度目の挑戦で合格の栄冠を手にしたのだ。 女性の社会保険労務士としては、彼女の住んでいた滋賀県の近江八幡市で、第一号…
一九七九年(昭和五十四年)の夏期スクーリングの折には、通教生に対する、二度目の国家試験の説明会が開かれた。 この時、社会保険労務士の合格体験を発表したのが、通教の法学部で四年目を迎えた藤野悦代であった。彼女は、八年前に三十四歳で社会保険労…
岩川武志は、当初、最難関といわれる司法試験をめざそうと思った。だが、自分の置かれた状況を考え、司法書士試験に挑戦することにした。 独学で勉強を始めた。通信教育の勉強のうえに、さらに、試験勉強である。しかし、困難であればあるほどファイトがわい…
一九七八年(昭和五十三年)の夏期スクーリングでは、国家試験の説明会が行われた。 司法試験や、公認会計士、税理士、社会保険労務士などの試験への、通教生の関心は高く、説明会の開催を要望する声が寄せられていたのである。 会場の教室には、三百人近く…
山本伸一は、“どうすれば通教生が勉学を成就し、卒業を勝ち取ることができるのか”に、常に心を砕いていた。そして、学長をはじめ、教職員と会うたびに、そのための、さまざまなアドバイスを重ねた。 ある時、創価大学でのスクーリングに参加できない学生数を…
第三回となる一九七八年(昭和五十三年)の夏期スクーリングには、古藤節美は二人の子どもを夫に預けて参加した。彼女は、三人目の子どもを宿していた。 その翌年の夏には、三人の子どもを夫に頼んで、スクーリングに参加した。 そして、“毎年、必ず行きます…
古藤節美は、一年前の、最初の夏期スクーリングにも参加していた。その時は、出発直前に一歳八カ月の長男が、麻疹にかかり、高熱を出した。 彼女は、子どもを夫に託し、後ろ髪を引かれる思いで、夜行列車に飛び乗った。この時、次男を身ごもっていた。 スク…
平山成勝は、夏期スクーリングから帰ると、創価大学の通教生として恥じないよう、職場の第一人者をめざして働きに働いた。 また、仕事が多忙なことから、進んでいなかったリポートの遅れを取り戻そうと、必死に挑戦した。職場の昼休みにも教科書を開き、仕事…
★名字の言 ▼プロ野球がパ・リーグから開幕した。ペナントレースを制するチームは、どこか。パでは3チームが新監督になり、その作戦、采配も楽しみだ ▼古来、中国では、軍師が兵法を駆使して戦いを繰り広げた。戦術の優劣で勝負が決まる。「武経七書」は、…
★名字の言 ▼今月8日、60カ国・地域のリーダーが集ったSGIの代表研修会。池田SGI会長はスピーチの後、出席者の輪の中へ。一人一人と握手を交わし、声をかけて激励を重ねた ▼参加者は「アルゼンチンの青年部は大勝利します」「ポーランドの女性は負…