【第6回】 春光る太陽の王国 宮崎 2010-2-19

励まそう 一人でも多く!
 
宮崎研修道場に着いた池田名誉会長が、そのまま庭の方へ歩き始めた。
平成11年(1999年)2月26日午後。沖縄から空路、宮崎に飛び、車で20分ほど走った、その足である。
庭では、「守る会」をはじめ3人の友が、手を真っ黒にしながら、懸命に作業している真っ最中だった。
「何をしているの?」3人に声がかかった。
「あっ!」。振り向くと目の前に名誉会長がいた。
「守る会の方だね」
「ありがとう。寒い中、誰も気づかないところで、必死に道場を守ってくださっている。私は絶対に陰の人を忘れないよ」
名誉会長は手袋をはずし、手を差し出した。
慌ててズボンで手をこすった守る会の友。握った手の温もりに、涙がこみ上げてきた。昭和62年(87年)の開所以来、道場を守り育ててきた苦労が、いっぺんに報われた気がした。
名誉会長は幹部の方を向くと、諭すように言った。
「私は会長になって以来、いや、なる前から、学会を支え、守ってくださる方を一番大事にしてきた。
この魂がある限り、創価学会は永遠に発展していく」
友は、心からうなずいた。
東京から来て、大物ぶり、威張りちらす人間には、何度も悔しい思いをさせられてきた。その中で、総務の時代から、名誉会長は違っていた。
昭和 33年(58年)8月の初訪問以来、宮崎への激励行は10度。
初代支部長の甲斐速水さん一家をはじめ、共戦の友への激励。青島や関之尾滝での語らい。3400人の記念撮影会。1日5回、1万人との自由勤行会ー。
友がいつも見たものは、「一人を」、そして「一人でも多く」励まそうとする師の執念であった。
「日向」 ー〃日の出に向かう〃宮崎の豊かな国土を讃え、「〃太陽〃といえば、宮崎を思い出す」「宮崎の若き開拓者の諸君よ、太陽に向かって、決然と立ち上がれ!」と、いつも希望を贈ってくれた。
「まこちうれしい(本当にうれしい)!」
名誉会長が都城地域の同志に、方言で呼びかけた。
平成3年(91年)2月の9度自の訪問。12日、都城文化会館での都城圏・小林圏記念勤行会である。
会場に入るや、一人の年配の婦人に声をかけた。
早田フクマツさん。小柄な体で、ピアノの陰に隠れるように座っている。
参加者には、名誉会長が早田さんを探し出したように思えた。
〃先生、よくぞ……〃
早田さんを知る人は皆、心で泣いた。
リーダーとして信頼厚かった愛娘を、前年に病で亡くされていた。悲しみを飲み込んで、こつこつと、真面自に広布に尽くしてきた功労者の一人だった。
名誉会長は、早田さんを最前列に招いた。
「本当にいい顔をしている」「貴婦人のようだね」
当時、都城圏婦人部長の加賀幸子さん(現・宮崎戸田県総合婦人部長)は、2月になると胸が熱くなる。
「〃かき分けてでも励ましたい〃という先生の心に、あの時、触れたのです」
青き太平洋。吹き抜ける春一番の風。同志が一茎一茎、持ち寄った菜の花が、揺れて輝いていた。
平成3年2月10日朝。研修道場(当時=聖教新聞宮崎研修センター)の庭を歩きつつ、名誉会長が残した言葉は、永遠の勇気の源泉として、こだまし続ける。
「宮崎は『前進』。これからも前進! 『前進』と『大勝』でいこう!」