【第1回】 御書と青年 師弟請願の祈り 2010-1-25㊤

世界一の大哲学を胸に進め!
御書は希望 勇気 智慧の泉
池田名誉会長 時代は、大きく動いている。激動の時こそ、青年の出番だ。
青年には勇気がある。青年には活力がある。青年にはビジョンがある。
いよいよ青年が、壮大な「世界広宣流布」の一切を担い立つ時が到来しました。だからこそ、私は御書を根幹に、若き大切な君たちへ、「青青勝利の指針」を語っておきたいのです。
 
佐藤青年部長  先生! 私たち青年のために、このような機会をもってくださり、本当にありがとうございます。青年部は、先生のご期待にお応えして「行学の二道」に励み、断固と戦い勝ちます。
 
熊沢女子部長 先生のもと「世界一の生命哲学」を学び実践できる、これほど充実した青春はありません。同世代の多くの友が、確かな人生の目的も指標も見出せずにいます。大仏法を今こそ語っていきます。
 
名誉会長 そうだ。頑張ってもらいたい。君たちには、最高無上の青春の舞台が広がっている。喜び勇んで躍り出なければ、自分が損をする。日蓮大聖人は「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経歓喜の中の大歓喜なり」(御書788ページ)と仰せになられました。自分が思っている以上に、わが生命は尊い。無量の宝を秘めている。「勇気ある信心」があれば、自らの可能性をもっともっと解き放ち、輝かせていくことができる。
 
佐藤 ありがとうございます。社会には、青年の夢を奪う暗いニュースがあふれています。その中で私たちは、常に人生の師の励ましをいただき、何があっても希望に燃えて前進することができます。この栄光の道を、一人でも多くの若き友に訴え、仲間を増やしします。
 
名誉会長 「持たるる法だに第一ならば持つ人随って第一なるべし」(同465ページ)と大聖人は断言なされた。人間の価値は、何で決まるのか。どういう哲学を持って行動しているかで決まる。君たちは若くして「第一の法」を持ち、社会に貢献している。ゆえに人間として「第一に尊貴」なのです。この誇りを忘れてはいけない。
 
生老病死」の根本問題を解決
 
熊沢 はい。池田先生と対談集を発刊された、女性の未来学者ヘンダーソン博士も、「創価学会は、一人一人がもつ可能性を深く自覚し、その可能性の開発を常に教えてきました。人間の可能性を認識し、開発していく作業は、人間として最も幸福な生き方ではありませんか!」と語っておられました。創価の青春は、世界の知性も讃嘆する最先端です。
 
名誉会長 正しき人間主義の哲学、生命尊厳の法理を人類は渇望しています。私も青年時代、常に御書を携えて奔走した。移動の列車の中でも寸暇を惜しんで御書をひもときました。
 
佐藤 昭和32年(1957年)の冬、列車で、たまたま先生と向い合わせに座った母子が、その時の心温まる励ましを胸に入会しました。その方も、先生が「黒革の分厚い本」を真剣に学ばれていたことを、鮮烈に記憶されていました。
 
熊沢 御書ですね(笑い)。
 
名誉会長 ともかく、勉強していなかったら、戸田先生の前には行けない。自分の信心も深まらないし、大勢の同志を励ますこともできない。だから真剣でした。ある冬の曰、戸田先生のもとへ伺うと、大変お疲れのご様子でした。それなのに「何でも聞きなさい」と言われる。本当に申し訳なかったが、研鑽中だった「百六箇抄」についてお尋ねすると、笑みを浮かべられて甚深の講義をしてくださった。忘れられません。青年の真摯な求道心には、大情熱で応えてくださる先生でした。
 
熊沢 今、海外の池田華陽会の友も、直接、受講する思いで、先生の御書講義の研鑽を重ねています。
 
名誉会長 私たちには、御書がある。これほど強いことはない。「法華経に勝る兵法なし」です。一頁でも一節でもいい。大聖人の御精神を求め抜いていくのです。
 
戸田先生はよく、「行き詰まった時こそ、御書を開け」
「疲れた時こそ、御文を心肝に染めよ」と語られた。
御書を開けば、「希望」も「勇気」も「智慧」も、いくらでも湧いてくる。絶対の確信が生まれる。決して尽きない「泉」のようなものです。
 
熊沢 婦人部の先輩が、女子部の私たちに、「どんな人生の悩みも、御書に解決の道が記されています。『冬は必ず春となる』ですよ」と励ましてくれたことがあります。
 
名誉会長 本当にその通りだ。いかなる大学者も、大富豪も、「生老病死」という人生の根本問題だけは、いかんとも解決しがたい。大聖人は仰せになられた。一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ、日蓮一人の苦なるべし」(御書758ページ)と。そして、あらゆる苦悩を必ず勝ち越えていける解答を、御書に留めてくださったのです。その方を一人一人が現実の生活の中で発揮し、日本中、世界中で「常楽我浄」の人生を歩んできた。そして「立正安国」に尽くしている。これが創価の誇り高き80年です。
 
佐藤 私たち青年部は、学会精神を受け継ぎ、新たな大勝利の歴史を開きます。その意味で、第1回は、戦いの原動力となる「祈り」について、ぜひ、おうかがいしたいと思います。
 
唱題は大宇宙と小宇宙の交流
 
熊沢 今、本部幹部会などで、先生と一緒に唱題させていただく機会に恵まれています。「満々たる生命力と勇気がみなぎりまず」等と、各地の友から感謝と決意の声が寄せられています。
 
名誉会長 題目が一切の原動力です。私も、戸田先生とよく一緒に唱題をさせていただいた。学会本部でも、先生の御自宅でも、地方の拠点でも。一回一回が宝でした。先生の事業が一番、大変な時も、「生命力が弱っていては戦はできないぞ」と厳しく叱咤されて、弟子のために導師をして、祈ってくださった。「御義□伝」には「師子吼」の意義について「師弟共に唱うる所の音声なり」(同748ページ)とあります。先生と唱える題目は、まさに宇宙をも揺さぶるような「師子吼」でした。勝ち戦への輝きです。 ともあれ、「祈り」は宗教の根源です。祈りは人間にしかできない崇高な行為です。 何を、どう、祈っているのか。祈りにその人の一念が如実に現れる。私たちの祈りは、いわば、大宇宙と人間生命の小宇宙との深遠なる交流の儀式です。南無妙法蓮華経は、宇宙と生命を貫く根本の大法則だからです。
 
佐藤 人間とかけ離れた超越的な存在に、何かをしてもらおうという心根とは、まつたく違いますね。
 
名誉会長 そう。ただ拝めば叶うなどという、安直な次元ではない。 「仏法と申すは道理なり」(同1169ページ)です。スポーツ部の友にも語ったことがあるけれども、真の祈りは、これ以上ないという「努力」と直結しているのです。 仏法は、人間の生命に限りない尊厳性を認めている。その生命の偉大な力を実際に開いていく仏道修行が、唱題行です。 法華経に勝る兵法なし。 信心の「歓喜スクラム」で新時代を南無妙法蓮華経の題目は、人類の潜在力を開く無限大の力を持っているのです。
 
熊沢 新しく活動を始めた友から、「どのように祈ったらいいのでしょうか?」と質問されることがあります。
 
名誉会長 そんなに、難しく考えなくていいんだよ(笑い)。自分らしく、ありのままの姿で御本尊の前に端座すればいいのです。そして苦しいことも、つらいことも、そのまま祈っていけばいい。「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(同1143ページ)と教えてくださっている通りです。
 
佐藤 よくわかりました。今、各地で新入会の友も信心の体験をつかみ、確信を深めています。
 
名誉会長 うれしいね。 「諸法実相抄」では、「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(同1360ページ)と言われています。題目を唱えられるということ、それ自体が、いかに深い宿縁であるか。
大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同ページ)とも仰せです。広宣流布に生き、題目を唱えゆく青年は、皆、最も尊極な地涌の菩薩なのです。
 
佐藤 学会とともに、広布に進む決意をもって唱える題目が、地涌の菩薩の「誓願の題目」なのですね。池田先生は「本当の決意を込めた題目をあげよ!題目は利剣である。題目は宝刀である。題目で勝つのだ!」との戸田先生のご指導を教えてくださいました。
 
名誉会長 友の幸福を願い、広宣流布を願って題目をあげていく。学会活動をし、折伏に挑戦していく。それ自体が、立派な「誓願の祈り」であり、「誓願の実践」なのです。地涌の菩薩は、法華経の涌出品で大地の底から現れ、末法における広宣流布誓願した。私たちは、その誓願のままに創価学会員として生まれ、戦っているのです。「いえ、そんなことを誓った覚えはありません」と言うかもしれない(笑い)。でも仏法の眼から見れば、また生命の因果から見れば、厳粛なる真実なのです。
 
佐藤 現代において、この「地涌誓願」を実践しているのは、いったい誰か。創価の師弟しかありません。
 
名誉会長 大地震に襲われた中米のハイチと先日、連絡が取れました。本当に甚大な被害でした。被災害の方々に、心からのお見舞いを申し上げたい。一曰も早い復興を朝な夕な祈っています。大変な状況の中で、ピエール・ニオー支部長が送ってくれた報告には、こう綴られていまし
た。
「私たちには御本尊があり、師匠がいます。創価学会の気高い同志がいます。すべてを乗り越えて、前進をする勇気が湧いてきます。池田先生!私たちハイチのSGIメンバーは、何があっても勝ち進んでいきます!」と。