【第9回】 師弟有縁の天地 山梨 2010-3012

築け!広宣流布の人材の城を
 
 山梨に  功徳の太陽  昇りゆけ  春爛漫の 心踊りで
 
 池田名誉会長はかつて、山梨の友に贈った。
 「春爛漫」が、もうすぐ甲斐の里にやってくる。
 陽光が富士の白雪を照らし、桃の絨毯が里を彩る。その名もゆかしい笛吹川は、雪解けの潤いを湛え、小鳥が遊び、舞い来る。
 名誉会長は、幾たびも山梨に足を運び、ここから世界平和への采配を振るってきた。
 「『地の利』は大事だ」
 「山梨は、首都圏を見渡す重要な場所だよ。だから私は、この場所で指揮を執る」と。
 山梨は師弟有縁の天地。
 日蓮大聖人は、ここで、広宣流布の総仕上げをなされた。日興上人は、山梨の鰍沢に生を受けられた。
 牧口初代会長は道志村を踏査している。
 戸田第2代会長は55年前、河口湖と山中湖の畔《ほとり》で青年を訓練した。その中心に、27歳の名誉会長がいた。
 「この山紫水明の天地に、広宣流布の人材の城を築きたいな」
 師の願いを、弟子は断じて忘れなかった。
 甲府市をはじめ富士吉田市大月市都留市、山梨研修道場のある山中湖村、山梨市、甲州市、そして笛吹市──あの街この道に、励ましの光跡を刻んだ。
 昭和53年(1978年)3月26日、富士吉田での「山梨文化祭」。時すでに全国で、第1次宗門事件の謀略の嵐が吹き荒れていた。
 「皆さんが幸せな人生を生き抜いていくために会長がいるのです。一人として犠牲にはしない。それが代々の会長の精神であることを知ってください」
 3年半後の昭和56年(81年)8月9日。山梨研修道場での「野外文化集会」には、嵐を勝ち越えた友の、喜びの顔また顔。 その視線の先に、変わらぬ名誉会長の姿があった。
 「尊い仏子である皆さんを守るための屋根となって死んでいく。これが私の念願であったし、また、そうしてきたつもりです」
 名誉会長は山梨を、本陣と一体で栄えゆく「東京の西の砦」と定めていた。「激動の時代を勝ち抜いていく電源地」と期待し続けた。
 「人は石垣」「人は城」 師の激励ありて、今、東京と首都圏を押し上げる、武田軍の如き人材の大城ができあがった。
 世界が変わる。歴史が動き出す。その時、名誉会長は山梨にいた。
 「アメリカにケネディ大統領誕生」の報を聞いたのは、50年前の昭和35年(60年)11月9日。甲府支部結成の日。
 「ソ連ゴルバチョフ書記長誕生」の報を聞いたのは、25年前の昭和60年(85年)3月11日。「ニュー山梨」を合言葉に出発した県支部長会の日だった。
 山梨よ、全国に、世界に打って出よ! どうせ戦うならば、新しい挑戦を! 新しい歴史を!──
 いついつも、山梨の友に勇気を贈った名誉会長。
 その限りない励ましに応える時は、「今」である。