小説「新・人間革命」  3月15日 学光40

 一九七九年(昭和五十四年)の夏期スクーリングの折には、通教生に対する、二度目の国家試験の説明会が開かれた。
 この時、社会保険労務士の合格体験を発表したのが、通教の法学部で四年目を迎えた藤野悦代であった。彼女は、八年前に三十四歳で社会保険労務士の試験に合格していた。
 藤野の夫は、土木請負業を営んでいたが、六二年(同三十七年)の暮れ、多額の借金を残して行方がわからなくなった。家も土地も処分したが、負債は残った。
 祖母の家に、子どもたちと母を連れて身を寄せた。雨漏りのする家であった。これから、子どもたちをどうやって育てればよいのかと思うと、途方に暮れた。だが、泣いている余裕さえなかった。
 昼は税理士事務所に勤め、夜も経理の仕事をした。少しでも借金を返さなければならないと、必死であった。
 子どもたちの衣服は、もらい物の古着であった。新しい服を着たいと言って、涙ぐむ娘を見ると、せつなさに胸が痛んだ。
 働き通して、五年間で借金を完済した。しかし、将来のことを考えると、もっと収入が必要だった。それには、何か資格を取るしかないと思った。そうしたなかで、社会保険労務士の試験があることを知った。
 社会保険労務士は、中小企業などの依頼を受け、労働・社会保険に関する申請、報告、異議申し立て等を行う専門家である。
 七〇年(同四十五年)春から独学で試験勉強を始めた。労働基準法労働者災害補償保険法、健康保険法、厚生年金保険法などである。法律は全く未知の分野である。
 勉強は、深夜しかできない。わずかな時間も利用しようと、風呂の中にも、本にビニールを被せて持ち込み、学習した。辛いという気持ちはなかった。今日も一つ、新しいことを覚えたと思うと、心は浮き立った。
 喜びをもって、物事に当たる人は強い。それは、義務感からの行動ではなく、自らの主体的な意志の発露であるからだ。