小説「新・人間革命」  3月13日 学光39

岩川武志は、当初、最難関といわれる司法試験をめざそうと思った。だが、自分の置かれた状況を考え、司法書士試験に挑戦することにした。
 独学で勉強を始めた。通信教育の勉強のうえに、さらに、試験勉強である。しかし、困難であればあるほどファイトがわいた。
 一方、このころから、彼の競艇選手としての成績に、かげりが見え始めた。
 試験勉強を続けるのか、競艇選手として徹底的に自らを鍛えていくべきか……
 このままでは、どちらも中途半端に終わってしまう気がした。
 一九七九年(昭和五十四年)の暮れ、岩川は競艇選手を引退し、勉強に専念した。
 しばらくは退職金で生活できるが、それも、二年間が限度である。朝から図書館に行き、夜は自宅で勉強に励んだ。
 翌八〇年(同五十五年)七月、初めて司法書士筆記試験を受けた。気ばかり焦り、さんざんな結果に終わった。勉強に専念できるのは、あと一年。背水の陣の思いで新たな出発を決意し、夏期スクーリングに参加した。
 この年の学光祭には、山本伸一が出席し、「自分自身に勝っていく人生を」と訴えた。
 岩川は、電撃に打たれた思いがした。
 そうだ。自分が克服すべき本当の相手は試験ではない。自分自身だ! だから、何も焦る必要はない。自分に勝てばよいのだ
 彼は、奮い立った。通教生として社会に実証を示したいと、心の底から思った。
 専修学校で答案練習の通信指導を受けながら、司法書士の試験勉強を重ねた。次第に学習の確かな手応えをつかみ始めていった。
 八一年(同五十六年)三月、岩川は、創大通教の第二期の卒業生となった。
 そして、七月、二度目の司法書士筆記試験を受けた。試験が終わった時には蓄えもほとんど底をつき、八月からタクシーの運転手をしながら、十月の発表を待った。
 合格だった。その後、口述試験も合格し、晴れて司法書士となったのである。