小説「新・人間革命」  3月16日 学光41

 社会保険労務士の試験は、決して容易ではなかった。藤野悦代は、一度目の試験には失敗した。しかし、翌一九七一年(昭和四十六年)、二度目の挑戦で合格の栄冠を手にしたのだ。
女性の社会保険労務士としては、彼女の住んでいた滋賀県近江八幡市で、第一号となったのである。
 藤野は、市内に事務所を開いた。タイミングよく、広い土地を求めて中小企業の工場が数多く移転して来た。仕事の依頼も順調に増えていった。
 仕事に取り組むなかで彼女は、民法民事訴訟法など、多くの法律知識の必要性を痛感した。そして、創価大学に通信教育部が開設されると、法学部に入学したのである。
 国家試験の説明会で、藤野の合格体験は、大きな反響を呼んだ。女手一つで三人の子どもを育てながらの、婦人の体験は、多くの参加者に共感をもたらし、自分も、やればできる!との勇気を与えたのだ。
 苦労の度が深ければ深いほど、その体験は多くの人に希望を与えることができる。自分の労苦は、人びとの光となるのである。
 彼女は、社会保険労務士としての仕事などをこなしながら、通信教育も六年間で卒業を勝ち取る。
そして、さらに、裁判所の調停委員(民事・家事)、司法委員としても活躍。通教で学んだ法律の知識を生かしながら、社会貢献していくことになる。
  通教生が集う機会があれば、私も、できる限り、なんらかのかたちで激励したい!
 それが、山本伸一の思いであった。
 七八年(同五十三年)十一月三日、創大祭の日程に合わせて、第一回「全国通教生大会」が開催されることになった。それを聞いた伸一は、会合には出席できないが、終了後に皆と記念撮影をすることにしたのだ。
 第一期生にとっては、三年目の秋であり、これから卒業への山場を迎える時である。伸一は、それだけに、なんとしても、激励の機会をもちたかったのである。